追記

(追記)2024年3月7日

 横浜「常磐鮨」の林ノ内勇樹氏が広尾に店舗を移転。「鮨ゆうき」として2024年3月9日にオープン。

 

(追記)2024年3月1日

 かねてより準備中であった「すし匠ニューヨーク(Sushi Sho -New York-)」が3E41st Street, New York, NY 10017に、2024年3月1日オープンした。

 

(追記)2024年2月29日

 麻布台ヒルズマーケットの開業が2024年3月13日に決まり、「鮨さいとう麻布台」がオープン。店主は齋藤孝司氏の元で約6年間修業し「鮨つぼみ」にも在籍していた滝本純也氏。

 麻布台ヒルズマーケットには「麻布台やま幸鮮魚店」などの専門店が入る。

 

(追記)2024年2月11日

 八丁堀「鮨うらおにかい」出身の高橋優一氏が2024年1月1日、清澄白河に「鮨にっこ」を開業した。

 

 「寿し屋の勘八」の流れを汲む自由が丘「すし屋の礒勢」で修業し、日本料理店などを経て「eat麻布十番」の料理長を務めた平山泰光氏が、2024年1月16日、赤坂に「鮨ひみつ」をオープン。

 

 京都の料亭「京料理木乃婦」で修業し、六本木「鮨由う」で個室を担当していた近藤元貴氏が2024年1月16日、東麻布に「鮨こん藤」をオープン。

 

 2024年1月16日、虎ノ門ヒルズに「鮨おにかいx2」がオープン。

 

 「築地寿司清」の伊勢丹新宿本店「鮨魯山」に在籍していた生田峻大氏を店主に迎え、新宿「鮨たか大(たかひろ)」が2024年1月25日にオープン。

 

(追記)2023年12月29日

 「鮨由う」の尾崎淳氏が2023年12月8日に銀座に「鮨由う」を移転オープン。もとの「鮨由う」は「鮨由う翼」を担当していた田原和樹氏が「鮨由う紬」が大将としてリニューアルした。

 

 「銀座いわ」で修業した原口ツカサ氏が2023年12月8日に「銀座つかさ」を独立オープン。

 

 「鮨由う」や「鮨佐たけ」で修業した藤岡寬生氏が、2023年12月5日銀座に「鮨ふじおか」を独立オープン。

 

 「経堂美登利寿司寿矢」で10年程修業し、「鮨銀座おのでら」で5年の経験を経て、渡邉嘉樹氏が2023年11月14日、銀座に「鮨・銀座よし樹」をオープン。

 

(追記)2023年11月27日

 一時、閉店していた熊本の「鮨仙八」は、場所を福岡市中央区高砂に移して2023年12月17日に再開予定。

 

(追記)2023年11月25日

 麻布台ヒルズが2023年11月24日に開業し、四谷「すし匠」が「ガーデンプラザ」内に「寺子屋すし匠」を出店した。四谷「すし匠」の二番手の杣木辰茂氏が担当。なお、六本木「鮨さいとう」の出店は2024年1月以降の予定。

 

(追記)2023年11月20日

 銀座「鮨あらい」の地下の個室を2023年6月30日まで担当していた幸後綿衣氏は、麻布十番に「鮨めい乃」を2023年11月20日独立オープン。

 

(追記)2023年9月17日

 かねさかグループの銀座「すし家」の橋本守氏は、2023年6月15日、銀座「鮨守」を独立オープン。

 

 築地のすし店で修業を始め、すし匠ハワイの立ち上げにかかわった松倉草平氏が、よしたけプロデュースの香港「すし志魂」を経て、2022年7月13日に札幌に「鮨草平」を開業。

 (追記)2023年9月17日、18日

 いくつかの系譜を追記・修正しました。

 

 

(追記)2023年7月25日

 現在開発中で2023年秋に開業予定の麻布台ヒルズに、六本木一丁目「鮨さいとう」、四谷「すし匠」が出店予定とのこと。「鮨さいとう」は握り中心の予定。

 

(追記)2023年7月25日

 以前から不規則に営業していた「鮨なんば四谷」を系譜に追加。「鮨なんば日比谷」で修業した高梨勇磨氏が担当。

(追記)2023年7月25日

 いくつかの系譜を追記・修正しました。

 

(追記)2023年7月23日

 「都寿司」の系譜の本文・系譜の一部を追記・修正しました。

 

 「鮨ニシツグ」は2023年4月6日ベトナムホーチミンに移転オープン。大将はすし職人歴27年の西胤秀樹氏。

 

 「鮨利崎恵比寿店」に在籍していた浦野博正氏が2023年7月3日、広尾に「鮨うらの」をオープン。

 

(追記)2023年6月21日

 銀座「鮨むらやま」は、同ビルに「好雪別処」を2023年7月1日オープン予定。

 「紀尾井町三谷」に在籍し、2018年9月から六本木一丁目に「桜坂加とう」として開業していた加藤聡氏は、2023年5月19日に新宿東急歌舞伎町タワーに「鮨甚江」をオープン。

 

 武藤啓司氏は、銀座の割烹「智映(閉業)」に在籍し、すし部門を担当していたが、その後「鮨あお」に移転、2023年6月10日に日本橋に「鮨むとう」を開業した。

 

 銀座「よしたけ」で修業した大矢庸二氏が神楽坂に「鮨大矢」を2023年5月22日に独立開業。

 

(追記)2023年4月23日

 麻布十番「鮨詠心」は2023年4月17日、大宮に移転オープンした。


 中目黒の「鮨りんだ」などで修業した佐藤勝氏が、2023年3月9日武蔵小山に「鮨季らく」をオープン。

 

(追記)2023年3月14日

 赤坂の料亭「菊之井」出身で、阿佐ヶ谷の「鮨なんば」、日比谷ミッドタウンの「鮨なんば日比谷」で修業した三浦健太氏の麻布十番「鮨みうら」は2022年9月30日にいったん閉店となったが、2023年4月12日に東京ミッドタウン近くの赤坂に移転オープン予定。

 

(追記)2023年3月6日

 銀座「きよ田」で木村正氏のもとで修業していた飯田慎人が木村正氏の出身の柏「福鮨」を引き継いでいるとのこと。

(当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

 「鮨太一」で修業し、「スシオクダ」などを経て「新ばししみず」の2番手を務めていた小林徹靖氏が2022年12月6日、銀座に「鮨こばやし」を開業。

 

 「まつ勘」出身で海外での経験もある阿部国充氏が2022年8月、東中野に「鮨くにみつ」をオープンした。

 

 「鮨銀座おのでら」出身で、仮想店舗などで経験を積んだ渡邉哲也氏が「桜坂加とう」の跡で「桜坂渡利」を2022年10月にオープン。

 

 「鮨あらい」「鮨すが弥」に在籍していた修業歴27年の米山淳氏が、2022年12月4日銀座に「鮨よね山」を開業。

 

 「銀座久兵衛」「鮨かねさか」などで修業した手塚由裕氏が2022年11月1日「銀座鮨佑」を開業。

 

(追記)2022年12月6日

 「鮨とかみ」の二代目の小田将太氏は札幌に帰郷し、2022年12月12日「鮨しょう太」を開業。

 

(追記)2022年12月6日

 「鮨さいとう」の系列店である中目黒の「鮨つぼみ」の丸山真琴氏はタイ・バンコクに移動し、2022年4月から川口蛍椰(かわぐちけいや)氏がつけ台に立つ。

 

(追記)2022年10月8日

 「麻布十番秦野よしき」で6年修業し、二番手を務めていた荒木悟氏が2022年7月3日、恵比寿「すしさとる」をオープン。

 

(追記)2022年10月8日

 「西麻布拓」の店長を任されていた石阪健二氏が2022年7月28日、「広尾石阪」を独立開業。

その六 「鮨みつ川」「鮨とかみ」 - すしの系譜

 

(追記)2022年10月8日

 恵比寿「大六」だった場所に「築地寿司清」出身の中武智樹氏が「鮨処たけ原」をオープン。

 

(追記)2022年10月4日

 西崎亮平氏は、15歳から幡ヶ谷のすし店で修業を始め、和食などを経て「鮨なんば日比谷」で修業、「鮨しゅん輔」の二番手を経て2022年4月、東北沢に「鮨西崎」を開店。

 

(追記)2022年6月27日

 2022年6月3日、「鮨はしもと」で二番手だった紺野隆氏が、「鮨はしもと」のあった場所に「鮨美幸」をオープン。

その三十 「日本橋蛎殻町すぎた」 - すしの系譜 

(追記)2022年6月9日

 銀座「鮨竹」の二番手だった岩沼德太郎氏が、故郷の仙台で2022年6月1日に「鮨德」をオープン。「新ばし笹田」で修行した弟の岩沼祥太郎氏と兄弟で店を営む。

その二十四 「新ばし しみず」 - すしの系譜

 

 

(追記)2022年3月2日、3月20日

 九州出身の濱野紘一氏は赤坂「菊之井」の出身で、熊本「鮨仙八」で6年あまり修業し、日本料理「八雲うえず」で修業の後に2022年2月15日、神楽坂で「一宇」を開業。

(「八雲うえず」の店主の上江洲直樹氏は赤坂「菊之井」の出身で、「菊之井」時代に濱野紘一氏や麻布十番「鮨みうら」の三浦健太氏と一緒に修業した。ちなみに神楽坂にある割烹、石川グループの「愚直に」の店主大塚将人氏も、同時期に赤坂「菊之井」で修業した一人。)

その四十四 「鮨真」 - すしの系譜

 

(追記)2021年11月15日

 ハワイ「すし匠(SUSHI SHO)」の中澤圭二氏はニューヨークに新店を開業予定。

その四十七 「すし匠」 - すしの系譜

 

 

特別編その一 「京味」

 西健一郎氏は1937年8月8日に京都で生まれ、日本料理の神髄を追求し多大な功績を治めた伝説の料理人で、京都「たん熊」で修業を始め、「京味」は1967年(昭和42年)に新橋に構えた店である。西健一郎氏は2019年7月26日にお亡くなりになり、その後「京味」は2019年12月28日を最後に閉店となった。

 西健一郎氏の父が西音松氏で、1897年(明治30年)1月1日に三重県で生まれ、14歳で京都西陣の料亭「万治家」で修業を始め、その後南禅寺の「瓢亭」で20年あまり修業、34歳の時に西園寺公望公爵のお抱え料理人となった。戦後は赤坂「たん熊」などで働いたが、その後一線を退いて佃煮をつくる店「西佃煮店」を開いている。亡くなる前の10年ほどは月の半分を「京味」で過ごし、息子の健一郎氏と仕事を共にした。音松氏が亡くなられたのが1983年(昭和58年)1月1日であった。

 

1982年(昭和57年)頃の京味

 

 西健一郎氏の料理の原点に父・音松氏の存在があったことは想像に難くない。西健一郎氏の活躍については多くの書籍や逸話が残されているので、ここでは触れないが、多くの弟子を育てたことでも知られている。

 「京味」で西健一郎氏のもとで修業した多くの料理人が自分の店を持ち、さらにその店で修業した料理人も、いわゆる孫弟子として活躍している。「すしの系譜」のブログであるが、特別編として「京味」の系譜を載せる。なお、この系譜図以外にも多くの料理人が「京味」で修業し、それぞれの場所で西健一郎氏の遺伝子を受け継いでいることを申し添える。

 

  • 正確な情報の記載を心がけていますが、個人で情報を収集しており、聞き取りや書物による情報のほか、インターネットによる二次情報・三次情報も含まれているため、正確な情報ではない可能性があります。
  • 名称・氏名など、間違いがありましたらたいへん申し訳ございません。

 

 

*** 京味の系譜  ***

 

 

 

 

掲載店(順不同)

「京味」

「京津田」

京料理と村」

「味三昧中村橋本店」

「もりかわ」

「銀座あさみ」

「新ばし笹田」

「井雪」

「くろぎ」

「小いわ」

「小熊」

「車力門ちゃわんぶ」

「新ばし星野」

「味ひろ」

「味享(みたか)」

「森ふじ」

「富味座(とみくら)」

「喜作」

「山﨑」

「銀座うち山」

「六寬」

「川田」

御成門はる」

「礒田」

「嗣味(つぐみ)」

「日本料理太月」

「徳うち山」

「銀座くどう」

「青山仁」

「杢兵衛(もくべえ)」

「貴久政」

「割烹若松」

「かき正」

「寿司・割烹咲乃野」

「島田中」

「つろく」

「府中庵待月楼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その六十五 「鮨なかむら」

 中村将宜氏は「高麗橋吉兆」の出身だが、すしに関してはほぼ独学で会得したとのこと。2000年4月、32才の時に六本木「鮨なかむら」をオープンした。最初は六本木のバス屋台、次に龍土町の6坪あまりの小さな店に移転、2年後の2002年5月に現在の店を構えた。2016年には京都祇園に「祇園鮨なかむら」をオープンし、中村将宜氏が1週間に1日だけ京都の店を開いている。

 「鮨なかむら」の出身の一人、相澤博久氏は学芸大学の「すし屋の芳勘」で10年あまり修業し、その後「鮨なかむら」で4年ほど修業して2011年に渋谷に「鮨あい澤」をオープンした。

 麻布十番「鮨詠心」の中村詠心氏も「鮨なかむら」で4年ほど修業。オープンした時、中村詠心氏は23歳。

 

(追記)2023年4月23日

 麻布十番「鮨詠心」は2023年4月17日、大宮に移転オープンした。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

〜 今後の予定〜

 

その六十六 「おかめ鮨」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その六十四 「鮨一」

 「鮨一」が銀座に開店したのが2005年9月。店主は三橋薫氏、上倉孝史氏、石橋正和氏、山根竜介氏などが歴任している。海外にも支店を持ち、現在はシンガポール店、バンコク店、ジャカルタ店を展開。

 シンガポール店は当初、銀座「久兵衛」出身の矢部裕二氏が店主だったが、2015年7月リニューアルオープン後は「鮨一銀座本店」の石橋正和氏が行き来するなどしていたらしい。石橋正和氏は姉妹店のシンガポール「小康和」でも活躍され、「小康和」はその後作田至生(よしお)氏に引き継がれた。

 「鮨一」で店主を務めた上倉孝史氏は銀座「久兵衛」出身。2011年7月に「西麻布かみくら」として独立。石橋正和氏は麻布十番に2017年10月「鮨石橋正和」をオープンした。中目黒「宇田津鮨」の宇田津久氏も「鮨一」の出身。平山龍一氏は「鮨一」その後銀座「鮨ふじ田」で修業して2019年8月に銀座に「鮨龍いち」を開業した。荒川直紀氏も静岡「末廣鮨」での修業後、シンガポールの「鮨一」「小康和」での修業を経て金沢に「Sushi直」をオープンした。

 

(追記)2021年8月6日

 2020年3月に新宿でオープンした「すし寿」を追加。店主は渡邉守氏。

 

 

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その六十三 「蔵六鮨」

 

 「蔵六鮨」は1980年に六本木に開業。ほどなく岡島三七氏が店主となる。岡島三七氏の経歴は恵比寿「割烹入船」から始まり、姉妹店『入船寿司』にて長年修業を積んだとのこと。その後、六本木に3店舗(「本店」「西店」「三丁目店」)、青山に1店舗を展開していたがいずれも閉店。岡島三七氏は2012年8月に広尾「蔵六鮨三七味(ぞうろくずしみなみ)」として開業して現在に至る。蔵六の由来は幕末期長州藩大村益次郎の通称の一つ「蔵六」にちなみ命名したとのこと。(「蔵六鮨三七味」ホームページより:https://www.zourokusushi.com

 1995年6月に「蔵六鮨三丁目店」の場所に「蔵六鮨さか井」(閉店)をオープンし、店主は酒井利夫氏が務めていた。酒井利夫氏は2017年9月に麻布十番に「蔵六鮨さかい」として独立した。

 「蔵六鮨」は多くの職人をかかえ、小高雄一氏もその一人。1979年生まれ。埼玉や赤坂のすし店で修業し、岡島三七氏のもと六本木「蔵六鮨本店」で修業した。2012年3月に六本木「蔵六雄山」を開業。2019年4月に平河町の「ザ・キタノホテル東京」に「蔵六雄山」の支店をオープン(現在は閉店)。六本木本店改装中、小高雄一氏は平河町店にいたが、佐伯真生氏がおもに店をまかされていた。

 その他「白金ふくだ」(閉店)の福田篤氏や「西麻布拓」の佐藤卓也氏などが「蔵六鮨」の出身。

 

(追記) 2021年5月9日

 1960年(昭和35年)創業の新潟「兄弟寿し」の二代目本間龍史氏は「蔵六鮨三七味」で修業して「兄弟寿し」を引き継いだ。店舗は2016年3月にリニューアル。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

 

 

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その六十二 「すし善」後編

 「すし善」出身者は多く全てを網羅できないが、全国、世界にその系譜は広がっている。

 「金寿司」は1934年(昭和9年)創業で現在は三代目。(札幌では「東寿し」1875年(明治8年)創業(閉店)が最古であったが、現在は「菊鮨」の1923年(大正12年)が最古の創業とされる。)「金寿司」三代目の今井努氏は「すし善」で修業歴があるとのこと。

 齊藤智行氏は神奈川県藤沢市のすし店で12年間修業し、その後札幌「すし善」に転職。おもに「すし善」の支店で修業して2011年6月に「鮨さいとう」として独立した。

 「すし乃ふじ田」は藤田慶志氏の店。途中移転して現在の地。「すし乃ふじ田」からは「すし処のむら」「すし・かわ野」「すし乃なか西」「すし乃いわ崎」が独立している。「すし乃いわ崎」は「ふじ田」で13年修業し、2012年6月に独立した岩崎朝也氏。途中移転して現在地。「すし乃なか西」は2012年に中西隆広氏が独立。

 1974年生まれの山田英貴氏は「すし善」で研鑽を積み2012年6月に「寿しひでたか」をオープン。

 大金有三氏は1958年生まれ。北海道のホテルや東京のすし店など4店舗で修業し、その後「すし善」に入り30年以上。すし歴50年以上。2020年6月「かね善(かねよし)」を開業。

 1976年福島県生まれの酒井博幸氏は東京で修業後に「すし善」で11年間修業して「すしさか井」を2015年8月に開業。

 函館「梅乃寿司」は1963年(昭和38年)の創業。二代目の金丸正善氏は「すし善」で7年間修業した。

 1974年生まれの中港大将氏の父親は旭川「港寿司」を営んでいたすし職人。中港大将氏は「すし善」や東京の日本料理店で修業し、その後恵比寿の日本料理「笹岡」で3年間研鑽を積んだ。1999年に「港寿司」が火事で全焼。店を閉めるとの連絡をうけて二代目として2001年に場所をかえて「鮨みなと」をオープンした。

 1982年福井県のすし店に生まれた塚田哲也氏は高校卒業後に「すし善」で修業。6年間の経験後に福井の実家の「鮨十兵衛」に戻り、2013年からは二代目として店舗も全面改装して現在に至る。

 「青山すし泉」の小泉恵一郎氏は1970年埼玉県の生まれ。大学卒業後に「すし善」で5年ほど修業し、その後シアトルやロサンゼルスのすし店を経験し、2000年に「青山すし泉」をオープンした。

 「鮨佐瀬」は香港の老舗すし点。店主は「すし善」で修業した佐瀬和男氏。2019年に移転して現在に至る。

 

(追記)2021年3月1日

 北海道小樽で修業後、札幌「すし善」で修業した大門太郎氏が地元の魚津に「鮨大門」を開業したのが2012年11月。

 滋賀県長浜に1953年に開業した「京極寿司」の三代目眞杉国史氏は大学卒業後、北海道、東京、福井で修業した。「すし善」での修業歴があり、その時の縁で福井「十兵衛」で1年ほど修業してから実家に戻った。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

(追記)2021年9月22日

 青山「すし泉」で修業し、「広尾すし家」(閉店)のあとに2005年西麻布に「きたむら」を開業した北村敦氏(2009年に「きたむら別館」をオープン)、「すし泉」で1年ほど修業し、その後「きたむら」を経て大分に帰郷し「月の木」をオープンした赤嶺桂一郎氏を系譜図に追加しました。

 

(追記)2021年12月14日

 札幌「すし善」で修業し、ロイヤルパークホテルの料理人として13年ほど務めた高江弘幸氏が2021年11月15日、麻布十番近くの東麻布に「鮨たかえ」を開店。

 

 

 

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その六十一 「すし善」前編

 

 嶋宮勤氏は1943年(昭和18年)北海道小樽で生まれ、中学卒業と同時に上京して銀座のすし店で修業。1年で北海道に戻り札幌のすし店で3年。その後上京して横浜のすし店で3年修業した後に「なか田」に入り、中田一男氏のもとで修業した。

その十三 「奈可田」 - すしの系譜

 1968年に札幌に戻り1971年に札幌すすきのに「すし善」を創業した。1984年には円山に本店を移転。2018年7月にリニューアルオープンして現在に至る。2002年に東京汐留に出店(現在の「美寿思」の場所)、その後、2011年に銀座に移転した。

 

 その「すし善」の出身者は多数おり、全国で活躍されている。

 眞田光保氏が「すし善」から「善」の字を受け継ぎ「たる善」を創業したのは1989年頃のこと。2008年に店舗を移転して現在に至る。2007年4月には新丸の内ビルディングに「たる善丸の内店」をオープンした。その「たる善」で修業した大阪智樹氏は2010年9月に「鮨棗(なつめ)」を独立開業。「鮨棗」は現在、札幌に4つ、東京に1つの店舗を展開している。2011年に姉妹店の「鮨葵」をオープン。その後「鮨棗」と店舗合併や移動などがあり、現在の場所は2018年4月からで、店主を務めるのは浦仁(うらじん)氏。

 札幌「○鮨(まる鮨)」は1987年の創業で初代の川崎武司氏は「すし善」出身。現在はハワイのワイキキで「○鮨」(2017年2月オープン)を営んでいる。二代目川崎純之亮氏は銀座「小笹寿し」で5年間修業後、2016年1月に父から店を引き継いだ。

その三十五 「小笹寿し」 - すしの系譜

「鮨匠嵯峨野」は小山内時勝氏の店で1991年頃の開業。二代目の息子さんも「すし善」での修業歴があるとのこと。「すしのかま田」の鎌田秀三氏は「すし善薄野店」の店長を長年勤めた後、独立開業した。「すし田」や「すし善すすきの店」で修業した中野健一郎氏は札幌郊外に「鮨なか」を2007年に開業。

 「鮨一(すしかず)」は1989年創業。旭川出身の内田一行氏は「東寿し」(閉店・1875年(明治8年)創業で札幌最古のすし店だった。)「すし善」で修業して独立した。2008年頃に現在の場所に移転。「鮨一」出身の船渡寛一氏は「鮨かん壱」を2018年10月にオープン。

「すし処ひょうたん」は「すし善」の一番弟子である会津出身の渡部氏?が1980年代に開業した。「鮨処有馬」の有馬正隆氏は北竜町出身。「すし処ひょうたん」から2003年に独立開業。また「鮨処よしな(仁)」は2012年6月開業。店主の吉田和晃氏は「すし善」「すし処ひょうたん」で修業して独立した。

「すし善」や銀座「鮨処順」などで修業した工藤真也氏が2008年に開業したのが「鮨富士」。

 静庸介氏は18歳の時から「すし善」で10年あまり修業して独立。「すし処静(しずか)」を2011年にオープンした。札幌市内のホテルや金沢の日本料理店で修業した弟・静裕介氏と途中から一緒に営んでいたが、静裕介氏は2019年10月に和味酒彩「秋夏(しゅうか)」として独立。

 

 

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その六十 「鮨銀座おのでら」

 

 小野寺裕司氏(CEO)のONODERA GROUPのフードサービス部門の一つが「銀座おのでら」で鮨・天ぷら・鉄板焼きなどの外食産業を展開している。鮨は銀座のほか、上海、ハワイなど5店舗を経営している(2021年1月現在)。世界統括総料理長として銀座店(総本店)を任されているのが坂上暁史氏で、札幌「すし善」で10年ほど修業した後、2013年4月の「鮨銀座おのでら」の立ち上げから関わっている。

 「鮨銀座おのでら」の出身としては「鮨長島」の新井智晴氏がいる。新井智晴氏は銀座店を経て、ハワイ店、ニューヨーク店を勤務して帰国し「鮨長島」を開店。15歳から鹿児島・長島で3年間漁師をしていた経験から店名を「鮨長島」とした。

 また「鮨銀座おのでら」「ます田」で修業して「鮨来主」の個室で鮨を握っていたのが松浦修氏。2019年9月に白金に「鮨まつうら」を開業した。

 齋藤正樹氏は高校卒業後に東京のすし店に入り、23歳で札幌の「すし善」で修業、2013年に「鮨銀座おのでら」に就職した。銀座店、香港店を経て2016年にニューヨーク店の料理長に就任した。2019年カナダ・トロントに「Sushi Masaki Saito」として独立オープンした。

 「鮨銀座おのでら」で修業歴があるのが馬場幸成氏で、下高井戸「旭鮨總本店」で学んだ後に「鮨銀座おのでら」で修業し、恵比寿「SUSHI TOKYO 81」に入り2020年1月から「SUSHI TOKYO 81」の板長を務めた。2020年8月からは渋谷「鮨一(はじめ)」の板長を務めている。

 

(追記)2023年1月9日

 「鮨銀座おのでら」出身で、仮想店舗などで経験を積んだ渡邉哲也氏が「桜坂加とう」の跡で「桜坂渡利」を2022年10月にオープン。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十九 「すし勘分店」

 代々木上原にあり著名人の利用もあった「すし勘分店」は2019年7月に閉店。店主の関清氏は銀座の「勘八」で修業した後、1974年(昭和49年)開業の川崎「すし勘(本店)」から1970年台後半に「すし勘分店」として暖簾分けした。

 「すし勘分店」で2番手だった小野淳平氏は恵比寿に「鮨小野」を開業し、2015年には現在の地に移転した(名称を「鮨屋小野」と変更)。

 その弟子には「鮨早川」の早川輝氏や「鮨早川」の姉妹店である「鮨ニシツグ」の西胤秀樹氏がいる。早川輝氏は「金太楼鮨浅草橋店」などで、西胤秀樹氏は「すし屋のまつ勘」「寿矢」などでの修業歴がある。

 

(追記)2022年4月13日

 恵比寿「鮨早川」は2021年6月末で閉店し、店主の早川輝氏は2022年3月21日赤坂に「鮨はやかわ」としてリニューアルオープン。

 

(追記)2023年7月17日

 「鮨ニシツグ」は2023年4月6日ベトナムホーチミンに移転オープン。大将はすし職人歴27年の西胤秀樹氏。経営はG-FACTORY株式会社。

 

 

 

 



 



 

 

  • 参考書籍

東京生活別冊「東京のすし通になれる本」 2006年 枻出版社 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十八 「寿司政」

 九段下の「寿司政」は文久元年(1861年)に初代戸張好造氏が日本橋の屋台で商売を始め、二打目太田福松氏は神田三崎町の歌舞伎小屋ですしを握っていたとある。二代目の長男として生まれた戸張政次郎氏の時に今の九段下に店を構え、現在は四代目の戸張太啓寿氏が店主を務め、五代目の戸張正大氏とともに暖簾を守っている。以上については「寿司政」のホームページをご参照いただきたい(http://www.sushimasa-t.com/aisatsu/index.html)。

番外編その一 「現存する老舗江戸前すしの店」 - すしの系譜

 

 160年あまりの歴史の中で「寿司政」で修業した職人も数多いと思われるが、近年独立した出身者として新橋「すし処まさ」の鈴木優氏がいる。「すし処まさ」はわずか3席(詰めて4席)で極めて予約困難な店として知られる。鈴木優氏は「寿司政」修業後に十条に「匠海」という店を開業したが、手の届く小さい店舗と言うことで現在の場所に移ったらしい。

 「寿司政」出身としては金沢「鮨処こいづみ」の小泉英樹氏や荻窪「鮨きたがわ」の北川俊介氏がいる。

 

 

 

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その五十七 「金多楼寿司」

 神田須田町にある「金多楼寿司」は創業が1929年(昭和4年)で、当代三代目にあたるのが藤田武氏。

 その初代の下で修業したのが野口四郎氏である。神田「金多楼寿司」の初代が本手返しを使っていたので、野口四郎氏は今でも本手返しを使う。

番外編その二 「すしの握り方」 ③本手返し - すしの系譜

「金多楼寿司」で数年修業し、和食店に勤めた後の1970年、三宿に「金多楼」を創業した。二代目の長男野口剛氏は18歳で愛知県の料亭に修業に行き、20歳の時から父の四郎氏とともにすしを握っている。

 ちなみに浅草に1924年大正13年)に創業し、東京、千葉、茨城に店舗を持つ「金太楼鮨」との関連はない。

 

 

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その五十六 「高勢」

 大正15年(1926年)「高勢」は台東区根岸に開業した。当時、根岸は花街として栄え、料亭街を形成しており、「高勢」も多くの座敷を有するすし店で、著名人も多く訪れる名店であった。初代は高橋勢太郎氏で、通名として京嗣(きょうじ)と名乗っていた。二代目の長男は経営者ですし職人ではなく、二代目の時に根岸の店は閉店となる。すし職人としては次男の高橋政嗣(まさじ)氏が継承しており、浅草に「新高勢」として再興し、その後「高勢」と名称を変更、最盛期には二号店(西浅草店)を構えていた。「高勢西浅草店」は「浅草貴乃」となっている。

 高橋政嗣氏のご子息である高橋明義氏が2010年に根岸「高勢」の跡地に「和びすとろ鮨 明」を開業した。高橋明義氏は父政嗣氏の紹介でお茶の水「小川軒」などで洋食の修業を行い、ホテルミラコスタでドアマンでの経歴もある。2012年に高橋政嗣氏は浅草「高勢」をたたみ、明義氏の店の手伝いをすることとなり、店名も「鮨明高勢(あきたかせ)」となった。

 根岸「高勢」の流れを汲むのが「大塚高勢」で1963年に大塚に暖簾分けの店を開き、2019年に現在の場所に移した。

 浅草「高勢(新高勢)」で修業したのが紺野勝利氏で、2014年に「浅草高勢」をオープン。また橋口安広氏は2004年に浅草に「鮨 橋口」を開業した。橋口安広氏は2017年に逝去され、奥勝次氏が二代目として継承している。

 

(追記)2021年4月14日

 浅草「鮨橋口」の奥勝次氏が「鮨奥」として独立開業。オープンは2021年4月10日。

 

 

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その五十五 「六兵衛」

 日本橋人形町の水天宮近くにある「六兵衛」は1948年創業の老舗。二代目は森英雄氏?。おそらく三代目にあたる森隆嗣氏が継承している。

 その「六兵衛」で24年間の経験を積んで2015年に人形町馬喰横山の間の東日本橋に開業したのが一條聡氏の「鮨一條」である。

 「六兵衛」出身者としては、「千八鮨」で修業した「鮨山沖」の山沖新氏がいる。

その四十 「千八鮨」 - すしの系譜

 

 

 

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  • 参考書籍

 

dancyu」2017年1月号 プレジデント社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十四 「すし長」

 六本木の交差点近くに「鮨けん」という店があるが、その場所に戦前から30年以上の歴史を持つ「すし長」と言う店があった。店主は平野弘二氏と言い、浅草で修業したとのこと。

 その「すし長」で修業したのが山中敏彦氏で、六本木の龍土町に1975年「纏鮨」を開業して現在に至る。

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  • 参考書籍

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

「一個人・全国極上鮨の名店」2008年12月号 KKベストセラーズ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十三 「鮨あらい」

 新井祐一氏は1982年東京都に生まれ、高校卒業後に銀座「久兵衛」の門をたたく。「久兵衛」で8年あまり修業し、その後四谷「すし匠」で6年間の修業を経て、2015年10月に33歳で銀座「鮨あらい」を独立開業した.

「鮨あらい」で二番手をつとめていた渡辺健(たける)氏は「久兵衛」「かねさか」などでの修業歴があり、現在は「鮨すが弥」から「鮨龍次郎」に移り個室を担当(2020年10月現在)。

 「鮨あらい」で修行中の幸後綿衣(めい)氏は大学卒業後に「すし匠」「鮨あらい」で修業、1年間フランス留学を経験してソムリエの資格を持っている。渡辺健氏のあとの「鮨あらい」の二番手(2020年10月現在)として個室を担当。

 

(追記) 2021年4月22日

 銀座「鮨あらい」は2021年4月3日同ビル2階に新店をオープン。旧店舗(地下1階)は個室を幸後綿衣氏が担当して営業。「鮨あらい」の二番手から「鮨すが弥」「鮨龍次郎」に移動した渡辺健(たける)氏は銀座に独立開業予定。

(追記)2022年5月11日

「寿司健」は2022年4月27日にオープン。

 

(追記)2022年4月3日

 銀座「鮨あらい」で二番手を務めていた渡辺健(たける)氏は、東麻布「鮨すが弥」在籍後に青山「鮨龍次郎」の主に個室を担当していたが、2022年4月下旬、銀座7丁目に「寿司健」を開業予定。

 

(追記)2023年1月9日

 「鮨あらい」「鮨すが弥」に在籍していた修業歴27年の米山淳氏が、2022年12月4日銀座に「鮨よね山」を開業。

 

 

 

 

 

 

















 

 

 

*参考書籍

 

dancyu」2018年8月号 プレジデント社

「鮨」食べログBOOKS 2018年 セブン&アイ出版