その四十九 「すし匠齋藤」

 

 齋藤敏雄氏は1968年山梨県生まれ。高校卒業後に最初に修業したすし店で中澤圭二氏と出会い、「すし匠さわ」開業時のメンバーとなる。1993年、四谷「すし匠」が開店する時に渡米、主にニューヨークですし職人として活躍し、2001年に帰国して四谷「すし匠」に入った。その後、2006年に独立して「すし匠齊藤」を赤坂の地に開業した。

 齋藤敏雄氏の弟子にあたるのが、「一番町てる也」の飯田照也氏と「不動前すし岩澤」の岩澤資之氏である。

 飯田輝也氏は親の仕事の関係で高校時代からニューヨークに在住しておりニューヨークにいた齋藤敏雄氏に声をかけられてすし職人の道を目指した。日本に帰国してからは中澤圭二氏の紹介で、宮崎で生魚も扱うお店で2年ほど修業、六本木のすし店を経て、齋藤敏雄氏の独立を機に「すし匠齋藤」で修業を行った。その6年後の2012年、麹町に「一番町てる也」を開業した。

 岩澤資之(もとゆき)氏は前職がシステムエンジニアリングという異色の経歴の持ち主。25歳の時にすし職人を目指し、すし店に入職。その後「すし匠齊藤」の二番手として修業し、41歳となる2016年に「不動前すし岩澤」をオープンした。

 

 

 

 

f:id:karasumiblog:20210410144647j:plain



 

 

 

 

 

 

その四十八 「すし浅尾」

 中澤圭二氏は26歳の時に「すし匠さわ」の店長となるが、その時の弟子が、22歳の浅尾英二氏、21歳の齋藤敏雄氏、そして17歳の岡正勝氏であった。四谷「すし匠」を始めるときに規模を縮小する中で、中澤圭二氏の命で浅尾英二氏は沼津のすし店に移動し、そこで生魚を多く扱った。四谷「すし匠」を1993年11月に開いたあと、浅尾英二氏はその暮れまで店にいたが、年明けには沼津に移動。その後も四谷「すし匠」に手伝いで入ることがあったとのことで、四谷「すし匠」のオープンの翌年の夏から「すし匠」に入った佐々木啓仁氏とは、その頃から親交がある。佐々木啓仁氏は2001年に秋田に同名の「すし匠」を開業して現在に至る。

 浅尾英二氏はその後、中央区佃のリバーシティにあった和食「さくら亭」の料理長を経て、2007年、月島「すし浅尾」を開業した。 

 その「すし浅尾」で修業歴があるのが野口智雄氏である。野口智雄氏は15歳から会員制のすし店で修業し、「すし浅尾」で2年あまり修業した後に代々木上原に「すし久遠」をオープンした。「すし久遠」にある江戸切子は野口智雄氏の父親である名匠・黒川昭男氏の作品。「すし浅尾」の江戸切子も黒川昭男氏の作品である。

参考URL:https://wazamon.net/craftsman/kurokawa/

 

 「すし久遠」では「鮨あらい」の新井祐一氏や「鮓村瀬」の村瀬信行氏などが修業している。また、乃木坂「鮨處かざま」、西麻布「鮨真」から「すし久遠」に移って二番手を担っていたのが菅谷崇之氏である。菅谷崇之氏はその後「鮨あらい」に移り、2018年に赤羽橋駅の近くに「鮨すが弥」をオープンした。

 

 

f:id:karasumiblog:20210410144647j:plain


 

 

 

  • 参考書籍

鮨屋人間力」中澤圭二著 2007年 文藝春秋

「旅する江戸前鮨「すし匠」中澤圭二の挑戦」一志治夫著 2018年 文藝春秋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四十七 「すし匠」

 中澤圭二氏は1962年、東京に生まれる。中学卒業後に各地のすし店や割烹・料亭などで修行を重ねた。最初に修業を始めたのが東久留米の鰻割烹「川松」であり、21歳の時には東久留米「喜平寿司」ですしを握った。大阪心斎橋にあった割烹「川久」などで修業し、1989年、26歳のときに麹町(二番町)「すし匠さわ」の店長となる。その時のメンバーには「すし浅尾」の浅尾英二氏、「すし匠齋藤」の齋藤敏雄氏、「すし匠まさ」の岡正勝氏がいた。

 ちなみに「海味」の長野充靖氏とは河田町にあった「移山」という店で出会い、修業時代から親交が深かった。また、白金高輪和食店「福わうち」を営む三宮昌幸氏とも互いに交流がある。

 それらの経緯については「鮨屋人間力、中澤圭二著」「旅する江戸前鮨「すし匠」中澤圭二の挑戦、一志治夫著」に詳しい。

 1993年には「すし匠はな家与兵衛」を現在の地である四谷にオープン。その後、中澤圭二氏は新天地を求めて2016年にはハワイのリッツカールトン(The Ritz-Carlton Residences, Waikiki Beach)に「SUSHI SHO」を出店した。四谷「すし匠」は勝又啓太氏が引き継いで現在に至る。

 勝又啓太氏は1985年、静岡県生まれ。高校卒業後、辻調理師専門学校に入り、その後、京都「嵐山吉兆」で2年あまり修業を積んだ後、四谷「すし匠」に入店。中澤圭二氏がハワイの店に移ったことを機に、2016年6月より店を任された。

 

 

 

f:id:karasumiblog:20200726190759j:plain

 

 

  • 参考書籍

 

鮨屋人間力」中澤圭二著 2007年 文藝春秋

「旅する江戸前鮨「すし匠」中澤圭二の挑戦」一志治夫著 2018年 文藝春秋

「鮨」食べログBOOKS 2018年 セブン&アイ出版

dancyu」2015年1月号 プレジデント社

 

 

 

 

その四十六 「新富鮨」

「新富鮨」は大正初期に和田富太郎氏が出した屋台に始まる。新橋に構えた店は昭和初期には立ち食いの場所があったことが、当時の写真でうかがえる(「すし通」永瀬牙之輔著)。

 その後、1927年(昭和2年)に和田富太郎氏の弟の神山幸次郎氏が新橋に「新富寿し」を開き、1955年(昭和30年)に銀座5丁目に店を移した。二代目は神山幸次郎氏の妻で、三代目として神山幸次郎氏の孫にあたる神山富雄氏に暖簾が引き継がれたが、2017年に閉店となっている。

 銀座「新富寿し」で修業した三橋克典氏が銀座「み富」として「新富鮨」の系譜を受け継ぐ。

 「新富鮨」の出身としては、名人と言われた矢沢貢氏が「新富鮨」として新橋に開業したが、今は閉業となっている。矢沢貢氏の息子が青山に開業し、北青山三丁目の第一青山ビルの「新富寿司」がそれにあたると思われるが、ここも現在は閉業となっているため、詳細は不明。

 また神山幸次郎氏の兄弟弟子で「新富鮨」で修業したのが鈴木博恭氏で1950年に銀座「きかく鮨」を開店。「きかく鮨東店」という支店もあったようだが、いずれも閉店となっている。

 その「きかく鮨」での修業経験があるのが菊池寬氏で、西麻布に「鮨寛」を開業している。

 

 

f:id:karasumiblog:20200718202234j:plain

 

 

  • 参考書籍

 

「すし通(昭和5年名著)」永瀬牙之輔著 1983年 土曜社

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年(株)文藝春秋

 

 

 

 

 

 

 

番外編その二 「すしの握り方」 ③本手返し

 「本手返し」は最も伝統的な返しの手法と言われており、木挽町の「美寿志」で明治時代に完成されたと言う説がある。(小堺化学工業株式会社ホームページより:食のサロン 「江戸前鮨の話」 | 小堺化学工業株式会社)。

 華麗で美しいが、手数が多く時間がかかるため、現在では「本手返し」を使う職人は少ない。

 

松波順一郎氏 

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

からすみ(@karasumigram)がシェアした投稿 -

 

 

 

  • 本手返し(順不同・敬称略)

  

「二葉鮨」     小西亜紀央

「きよ田」     新津武昭

「きよ田離れ」   木村 正

「きよ田」     吉沢範彦

「寿司幸」     杉山 衛

「与志乃」     吉野末吉

「鮨松波」     松波順一郎

「吉野鮨本店」   吉野正二郎

「あら輝」     荒木水都弘

「鮨木場谷」    木場谷光洋

「増田勇」     増田 勇

「金多楼」(三宿) 野口四郎

「鮨嘉瑞」     堀内幸継

「鮨あき」     冨田彰房

 

 

 

 

 

 

   

番外編その二 「すしの握り方」 ②縦返し

 「縦返し(立て返し)」は左手に持ったネタとシャリを、手を返して(甲を上にして)ネタが上になった状態で右手の親指と人差し指で受けて返す方法。「仏壇返し」「俵返し」などとも呼ばれている。

 崩れやすいネタや滑りやすいネタなどの「小手返し」で横に転がしにくいネタの場合でも握りやすいとされ、普段「小手返し」で握っている職人もネタによって「縦返し」を使い分けることがある。

 

 

菅谷崇之氏 

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

からすみ(@karasumigram)がシェアした投稿 -

 

 

 尾崎 淳氏

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

からすみ(@karasumigram)がシェアした投稿 -

 

 

 

 

 

 

*縦返し(順不同・敬称略)

 

「寿司いずみ」     佐藤衛司

「鮨由う」       尾崎 淳

「すし佐竹」      佐竹 大

「すし匠齋藤」     齋藤敏雄

「鮨すが弥」      菅谷崇之

「鮨なんば日比谷」   難波英史

「鮨なんば」      高岡俊輔

「鮨みうら」      三浦健太

鮨屋小野」      小野淳平

「鮨龍尚」       田島尚徳

「小松弥助」      森田一

「み富」        三橋克典

「SUSHI SHO」    中澤圭二

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

番外編その二 「すしの握り方」 ①小手返し

 

 すしを握るには(右利きの場合)左手にネタをおき、その上に右手でシャリをのせるため、最初はネタが下になっている。そのため、どこかで上下(天地)を逆にする必要がある。これが「返し」と呼ばれるものであり、職人によって多種多様な返し方(握り方)をする。その「返し」には「本手返し」「小手返し」「縦返し」などと呼ばれる方法がある。

 まずは「小手返し」から。もっとも多くの職人が使っている「返し」のため、「小手返し」一つとっても十人十色の握り方があるようで、左手一つで重力や反動を利用して返す場合や、右手を添えて横に転がして返す「横手返し」、さらには返す方向が逆(手先から手のひらに向かって返す方法)の場合などがある。

 

斉藤孝司氏 

 
 
この投稿をInstagramで見る

からすみ(@karasumigram)がシェアした投稿 -

 

引退された某氏、小手返しからのしっかりとした握り

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

からすみ(@karasumigram)がシェアした投稿 -

 

三谷康彦氏

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

からすみ(@karasumigram)がシェアした投稿 -

 

中村龍次郎氏

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

からすみ(@karasumigram)がシェアした投稿 -

 

 

 

  

すきやばし次郎」   小野二郎(左利き)

「鮨 水谷」      水谷八郎

「青空」        高橋青空

「鮨みずかみ」     水上行宣

「喜久好」       清水喜久男

久兵衛」       今田洋輔

「鮨かねさか」     金坂真次

「鮨さいとう」     斉藤孝司

「鮨久いち」      出口威知郎

「寿し処寿々」     藤井陽一郎

「鮨いしやま」     石山孝雄

「すし家」       橋本 守

「銀座いわ」      岩 央泰

「鮨とかみ」      小田将太

「はっこく」      佐藤博

「銀座鮨青木」     青木利勝

「鮨さわ田」      澤田孝治

日本橋蛎殻町すぎた」 杉田孝明

「鮨はしもと」     橋本裕幸

「弁天山美家古寿司」  内田 正

「すし匠」       勝又啓太

「すし浅尾」      浅尾英二

「すし匠まさ」     岡 正勝

「鶴八」        石丸久尊 

「新橋鶴八」      五十嵐寛和

「鮨竹」        竹内史恵

「鮨まつもと」     松本大

「小笹寿し下北沢」   西川 勉

「三谷」        三谷康彦

「鮨よしたけ」     吉武正博

「鮨わたなべ」     渡部佳文

「海味」        長野充靖

「鮨龍次郎」      中村龍次郎

「匠進吾」       高橋進

「すし岩澤」      岩澤資之

「鮓職人秦野よしき」  秦野芳樹

「鮨橋口」       奥 勝次

「冨所」        佐藤浩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四十五 「鮨處寬八」

 

「鮨處寬八」の山田博氏は石川県羽咋市出身。1933年(昭和8年)生まれ。1948年に上京して翌年「三長会」に所属して「蛇の目鮨」で修業した。その後、青森「一力」に移動、東京に戻ってから有楽町「九重纏寿司」に勤めた。その後も「三長会」に所属しつつ銀座「勘八」(飯沼春吉氏)、銀座「すし春」(鈴木民部氏)、銀座「美よし鮨」などでの仕事を経て、1964年に独立して御徒町に「鮨處寬八」を開業した。1979年に同じ御徒町で店を移動、その「鮨處寬八本店」は山田博氏が85歳になる2018年9月に引退閉店となった。「鮨處寬八」には湯島店、鶯谷店、上野店があったが、いずれも閉店となっている。

  三長会

 その十三 「奈可田」 - すしの系譜

 その二十五 「寿し屋の勘八」 - すしの系譜

 「鮨處寬八」の出身者としては、谷中「八車」(閉店)の竹内豊氏(「鮨處寬八湯島店店長」)、福井「すし處はら田」の原田修氏(「鮨處寬八鶯谷店店長」)、豊橋「滝鮨」の伊藤順次氏(「鮨處寬八鶯谷店」)などがいる。

その経緯については山田博氏の著書の「こころで握る」(2014年、メタ・ブレーン)に詳しい。

 その他の「鮨處寬八」出身の職人としては、柴田英昭氏が「鮨處寬八」「鮨奈可久」で修業した後に、実家の船橋「おかめ寿司」に戻り、三代目として継承。

 北海道出身の渡邊彰氏は「鮨處寬八」で16年ほど修業した後に「鮓かね庄」を浅草に開業。

 「鮨處寬八」で渡邊彰氏の後輩にあたる後藤友佑氏は「鮨處寬八」修業後に、錦糸町「魚寅鮨」などに所属し、2017年に「鮨たか橋」のつけ場に立ち、2020年6月からは「寿し処 川(せん)」を任された。

 

 

 

f:id:karasumiblog:20200619125714j:plain

 

 

 

  • 参考書籍

 

「こころで握る」山田博著 2014年 メタ・ブレーン

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

dancyu」2018年8月号 プレジデント社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四十四 「鮨真」

 鈴木真太郎氏は世田谷の東松原にある「小かん鮨」でアルバイトを始め、そのまま社員として修業した。その後、都内のホテルのすし店に勤めるが、すぐに経堂の「寿矢」に移り、2年ほど修業した後の2003年に西麻布の交差点近くのビルの3階に「鮨真」を開業した。2011年には同じ西麻布だが日赤通りに店舗を移し、現在に至る。

 鈴木真太郎氏が修業した経堂「寿矢」は細野壽矢氏の店で、もともと「経堂美登利寿司寿矢」を屋号としていた。実家が1927年(昭和2年)創業の経堂「美登利寿司」であり、その「美登利寿司」は細野壽矢氏の兄にあたる四代目(三代目?)細野健氏が継承している。

 梅ヶ丘の「寿司の美登利」は、もともとは経堂「美登利寿司」から1963年に暖簾分けした店であるが、現在は(株)梅丘寿司の美登利総本店として銀座店、渋谷店、多摩川店など多店舗経営を行っており、経堂「美登利寿司」と経営的な関係はない。

 「鮨真」出身の佐藤浩二氏は北海道出身。地元の帯広のすし店で5年間ほど修業して上京、「鮨真」に弟子入りした。2年後に帯広に戻るも、ふたたび「鮨真」での修業を選び、すぐに東京に。それから5年間修業して、2018年に御成門に「冨所」を開業した。

 また「鮨すが弥」の菅谷崇之氏も「鮨真」での修業歴がある。

 その四十八 「すし浅尾」 - すしの系譜

 

 

 

(追記)2020年11月1日

 熊本「鮨仙八」の四代目にあたる中原貴志氏は、福岡の料亭や西麻布「鮨真」で修業し、2012年に先代の中原寿男氏から引き継ぐタイミングで中央区花畑町に「鮨仙八」を移転開業した。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

 

 

f:id:karasumiblog:20201101212153j:plain



 

 

  • 参考書籍

 

東京生活別冊「東京のすし通になれる本」 2006年 枻出版社

「一個人」2007年1月号 KKKベストセラーズ

dancyu」2007年4月号 プレジデント社

dancyu」2018年8月号 プレジデント社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四十三 「鮨尚充」

 「鮨尚充」の安田尚充氏は1980年千葉県の生まれで16歳の時に自由が丘の「鮨幸」に入る。その「鮨幸」は1981年創業で、渋谷幸雄氏が店主を務めている。安田尚充氏は「鮨幸」で15年間の修業の後に独立して、2011年に中目黒に「鮨尚充」を開いた。

 2019年に渋谷にオープンした「鮨利﨑」は塩﨑竜大氏と毛利太祐氏の二人が立ち上げた店。塩﨑竜大氏は恵比寿の「松栄」で修業して「鮨りんだ」にも在籍していた。また毛利太祐氏は自由が丘の「鮨幸」出身で、「鮨尚充」や新宿の「鮨青海」で修業した経歴の持ち主。その二人がそれぞれの名前を取って「鮨利﨑」の名前ですしを握る。恵比寿「松栄」と自由が丘「鮨幸」が「鮨利﨑」で繋がる。

 

 

 

f:id:karasumiblog:20210429110627j:plain





 

 

  • 参考書籍

 

「鮨」食べログBOOKS 2018年 セブン&アイ出版

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

その四十二 「鮨りんだ」

 河野勇太氏は愛媛県出身。松山の和食店で修業を始め、恵比寿「松栄」に10年ほど勤めた後に、ニューヨークで3年間修業をつんで、32歳の時、2014年4月に「鮨りんだ」として独立した。屋号の「りんだ」は河野勇太氏の好きな「THE BLUE HEARTS」の「リンダリンダ」の曲名に由来する。

 2018年には姉妹店「らんまる」を目黒・不動前にオープンした。当初は宇和島うどんも供されるお店だったが、現在はすし専門となり島津千周(ゆきちか)氏が大将を任されている。

 「鮨あんじょう」の竹内進氏は恵比寿「松栄」で18年修業したあとに、2010年に独立した。また小倉健司氏は10年ほど「松栄」で修業し、自由が丘の奥沢に2020年「鮨光(ひかり)」をオープン。

 

(追記)2020年12月9日

 「らんまる」の大将・島津千周氏が、2020年11月白金に「島津」として独立オープン。

 

 

 

f:id:karasumiblog:20210429110627j:plain







 

 

  • 参考書籍

 

dancyu」2017年1月号 プレジデント社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四十一 「松栄」

 恵比寿の「松栄寿司」は1966年の創業で、長男の松下義晴氏が跡を継ぎ、1992年にインテリアデザイナーの高取邦和氏(無印良品のデザインで知られる(株)スーパーポテト・創業者杉本貴志氏の共同設立者)のデザインにより「松栄」として再出発した。

 松下義晴氏は1995年に(株)ピューターズを設立、代表取締役社長として渋谷、六本木などにすし店を展開している他、蕎麦の「松玄」、「焼肉チャンピオン」、中華の「MASA’S Kitchen」などを手がけている。

 「松栄」の出身者としては、広尾「鮨あんじょう」の竹内進氏、奥沢「鮨光」の小倉健司氏、中目黒「鮨りんだ」の河野勇太氏などがいる。

 

 

 

f:id:karasumiblog:20210429110627j:plain



 

 

  • 参考書籍

 

dancyu」1993年5月号 プレジデント社

 

  

 

 

 

 

 

 

臨時その一 すしのテイクアウト・お持ち帰り

 

 

〜すしのテイクアウト・お持ち帰り〜  

 (追記 2020年5月19日、22日、26日、31日、6月2日、12日、7月8日、8月2日、12月8日、2021年1月3日)

 

「鮨あお」

その八 「すきやばし次郎」 - すしの系譜

鮨あお 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

日本橋蛎殻町すぎた」

その三十 「日本橋蛎殻町すぎた」 - すしの系譜

日本橋蛎殻町 すぎた 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「鮨よしたけ」

その三十七 「鮨よしたけ」 - すしの系譜

鮨よしたけ 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「鮨みうら」

その三十一 「鮨なんば」 - すしの系譜

https://www.facebook.com/azabujubansushimiura/

 

「すし岩澤」

不動前 すし 岩澤 - 不動前/寿司 [食べログ]

 

「鮨なかむら」

鮨 なかむら

 

「海味」

その三十四 「海味」 - すしの系譜

海味(うみ) 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「青空」

その八 「すきやばし次郎」 - すしの系譜

青空 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「鮨坂本」

その二十 「すし処宮葉」 - すしの系譜

https://www.instagram.com/sushi.sakamoto/

 

「鮨由う」

その二十六 「寿司いずみ」 - すしの系譜

鮨 由う - 六本木/寿司 [食べログ]

 

「鮨 在」

その二十六 「寿司いずみ」 - すしの系譜

鮨 在 - 広尾/寿司 [食べログ]

 

「うを徳」

その十三 「奈可田」 - すしの系譜

ご機嫌いかがですか? 折詰の仕事

 

「鮨つぼみ」

その五 「鮨さいとう」 - すしの系譜

鮨 つぼみ - 中目黒/寿司 [食べログ]

 

銀座「久兵衛

その三 「久兵衛」 - すしの系譜

デリバリー&テイクアウト アプリ「menu」より ご注文頂けます | 銀座久兵衛

 

「鮨はしもと」

その三十 「日本橋蛎殻町すぎた」 - すしの系譜

鮨 はしもと 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「銀座鮨青木」

その十五 「鮨青木」 - すしの系譜

銀座 鮨青木(Ginza SUSHI AOKI):銀座/江戸前鮨・すし

 

「鮨 真」

その四十四 「鮨真」 - すしの系譜

鮨 真 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「鮨竹半 若槻」

その十九 「道玄坂亀寿司」 - すしの系譜

鮨竹半 若槻

 

「鮨よし田」

その三十九 「江戸前鮓 すし通」 - すしの系譜

南麻布 鮨よし田 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「らんまる」

らんまる - 不動前/寿司 [食べログ]

 

「鮨からく」

その十三 「奈可田」 - すしの系譜

メニュー:お土産 | 銀座の江戸前寿司:鮨からく

 

「鮨きよ田」

その十 「きよ田」 - すしの系譜

STAY HOME きよ田のご予約 - OMAKASE

 

「はっこく」

その六 「鮨みつ川」「鮨とかみ」 - すしの系譜

はっこく - 銀座/寿司 [食べログ]

 

「鮨たかはし」

その五 「鮨さいとう」 - すしの系譜

鮨 たかはし - 銀座一丁目/寿司 [食べログ]

 

「すし乃池」

その十七 「吉野鮨本店」 - すしの系譜

お品書き | 江戸前の穴子すし 谷中 すし乃池 【公式サイト】

 

麻布十番 秦野よしき」

その二 「寿司幸」 - すしの系譜

麻布十番 秦野よしき 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「鮨石島」

その三十二 「築地寿司清」 - すしの系譜

鮨 石島|中央区テイクアウトMAP

 

「初音鮨」

初音鮨 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「匠 達広」

https://takumi-tatsuhiro.com/storeguide/tatsuhiro/

 

 

「匠 すし昴」

匠 すし昂 - 表参道/寿司 [食べログ]

 

「鮨ふじ田」

その四 「鮨かねさか」 - すしの系譜

おみやげ - 銀座の鮨ふじ田 銀座江戸前鮨 銀座寿司 銀座3丁目鮨ふじ田

 

「鮨きのした」

その三十七 「鮨よしたけ」 - すしの系譜

鮨 きのした 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「恵比寿えんどう」

その五 「鮨さいとう」 - すしの系譜

恵比寿えんどう 店頭受取のご予約 - OMAKASE

 

「すし縁」

その三 「久兵衛」 - すしの系譜

すし縁 (スシエン) - 内幸町/寿司 [食べログ]

 

「すし巽」

その三 「久兵衛」 - すしの系譜

六本木 すし巽 (タツミ) - 六本木/寿司 [食べログ]

 

「鮨かねみつ」

その三 「久兵衛」 - すしの系譜

鮨かねみつ - 銀座/寿司 [食べログ]

 

「鮨かねさか」

その四 「鮨かねさか」 - すしの系譜

https://www.facebook.com/sushi.kanesaka/

 

「鮨りんだ」

https://www.instagram.com/p/B-ba-RxAVBY/?igshid=q4gau9df0nxz

鮨 りんだ - 不動前/寿司 [食べログ]

 

「鮨光」

鮨 光 (Sushi Hikari) - 奥沢/寿司 [食べログ]

 

「松栄恵比寿店」

その四十一 「松栄」 - すしの系譜

昼のメニュー | お品書き | 松栄 恵比寿本店

 

「代官山鮨たけうち」

その五 「鮨さいとう」 - すしの系譜

代官山 鮨 たけうち - 代官山/寿司 [食べログ]

 

 「鮨銀座おのでら」

鮨 銀座 おのでら - 東銀座/寿司 [食べログ]

 

「すし屋の芳勘」

すし屋の芳勘 (すしやのよしかん) - 学芸大学/寿司 [食べログ]

 

「五反田 SUSHI TOKYO 81」

五反田鮨 SUSHI TOKYO 81 - 五反田/寿司 [食べログ]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四十 「千八鮨」

 築地市場が1935年に移転する前は、本船町から本小田原町一帯(現在の日本橋本町1丁目、日本橋室町1丁目あたり)に日本橋魚河岸があった。その日本橋の魚河岸で富岡の八五郎氏が1820年代に始めた「魚河岸卸富八」の七代目にあたる松下進太郎氏が日本橋本町で営んでいたのが「千八鮨」である。その昔、日本橋界隈ですし屋の若い衆で作った「ひわた会」という親睦団体の会長を務めていたのが松下進太郎氏で、「喜(㐂)寿司」の三代目油井隆一氏なども所属していたらしい(「江戸前にぎり こだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社)。

 「千八鮨」は2005年、松下進太郎氏が65歳になるにあたり閉店した。

 その「千八鮨」で修業したのが山沖新(やまおきあらた)氏で、2007年に同じ日本橋に「鮨山沖」を開業し、現在に至る。山沖新氏は人形町「六兵衛」、神田「宇廼丸」での修業歴がある。

 

f:id:karasumiblog:20200509142056j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その三十九 「江戸前鮓 すし通」

 「逸喜優」の出身者には「江戸前鮓 すし通」の初代藤永大介氏や「鮨太一」の石川太一氏などがいる。

 藤永大介氏は1990年に渋谷「三浜鮨」(閉店)で修業を始め、1999年に碑文谷「逸喜優」を経て、2005年に台北の「野壽司」で初代の料理長兼店長を務めた。2008年に帰国して六本木「すし通」の初代に就任する。2017年に独立して麻布十番「鮓ふじなが」を開業。

 「すし通」の二代目は日本料理「分とく山(インターコンチネンタル東京ベイ)」の料理長だった高橋進紀(のぶとし)氏が勤める。

 「鮓ふじなが」から2019年に吉田安孝氏が独立して広尾に「鮨よし田」を開業。吉田安孝氏は「小松弥助」や大阪・京都「吉兆」などで修業後、アメリカの「KENZO ESTATE」でワインを学び、「鮨ふじなが」で修業し、和牛割烹店「金舌白金」のオープンに際して料理長に就任するなどの経歴の持ち主。

 「鮨太一」からは、札幌「鮨菜和喜知(すしさいわきち)」や「鮨水谷」で修業した北海道出身の青木桂太氏が築地「鮨桂太」として2017年に独立している。

 

 

(追記)2020年11月30日

 シンガポール「鮨あし乃(ashino)」の蘆野拓氏は「すし通」の出身で、2013年からシンガポールのヒデ・ヤマモトのヘッドシェフとして働き2015年に独立開業した。

 また、白金「鮨龍尚(しょうりゅう)」の田島尚徳氏は岐阜「千成寿司」で10数年修業し、その後、福岡や東京で修業。「すし通」でも1年ほど修業して2014年に開業した。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

(追記)2021年4月8日

 白金「鮨龍尚(しょうりゅう)」の田島尚徳氏が新橋に「立喰い寿司あきら」を2021年2月16日オープン。ランチを中心に営業。

 

 

f:id:karasumiblog:20210417220049j:plain