その二 「寿司幸」

 「寿司幸」は杉山幸二郎氏が1885年(明治18年)柴井町(現在の新橋5丁目付近)に創業したが、二代目杉山宗吉氏の時に空襲により焼失したため現在の地に移転した(「銀座のすし 山田五郎著」)。杉山宗吉氏は「美寿志」で修業した一人。

 「美寿志」出身者としては、鮪で有名な「日本橋寿司金」の鈴木守氏がいるが、すでに閉店。弟子の秋山弘氏が四谷の荒木町に「日本橋寿司金」として引き継ぐ。

 「寿司幸本店」は現在四代目杉山衛氏が継承している。多くの職人をかかえ寿司の普及にも尽力され「寿司幸」の支店や「寿司幸」の名前で暖簾分けしている。また「寿司幸」出身者としては銀座「寿司ひら田」の平田哲幹氏、浅草「すし游」の岡林睦生氏、西荻窪「鮨たなか」の田中宏昌氏、白金台「鮨岡部」の岡部嘉一郎氏などがいる。「鮨てる」の宮崎智弘氏や「鮓職人秦野よしき」の秦野芳樹氏は「寿司幸」の孫弟子にあたる。

 

(追記) 2021年5月6日

 「神楽坂寿司幸」の山田庸二氏は15才の時に銀座「寿司幸本店」に入った。先々代の杉山宗吉氏のもとで13年間修業して1968年に「神楽坂寿司幸」として独立。その後、1987年に同じ神楽坂で移転、2018年12月に50年にわたる店を閉じた。

 

(追記) 2021年9月14日

 「寿司幸」で修業した住本圭司氏の松山「すみもと」、樋口芳正氏の大阪にある「鮨樋口」を系譜図に追加しました。

 

(追記)2022年1月19日

 2022年1月14日、「麻布十番秦野よしき」の秦野芳樹氏が隣のビルに「立喰鮨となり」をオープン。LINE予約、60分制、キャッシュレス。

 

(追記)2022年5月14日

 実家の寿司店で修業後に六本木、銀座、日本橋寿司店で修業し、浅草「すし游」で6年間修業して地元に戻った久保崇嘉氏の長野「すし崇(すしたか)」を系譜図に追加しました。

 

(追記)2022年10月8日

 「麻布十番秦野よしき」で6年修業し、二番手を務めていた荒木悟氏が2022年7月3日、恵比寿「すしさとる」をオープン。

 

 

 

 



 






 

  • 参考書籍

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋

dancyu」 2007年4月号 プレジデント社