その十六 「與兵衛鮨」

 江戸前ずしの発祥については多くの書籍に記載されているためここでは触れないが、「與兵衛鮨」の初代華屋與兵衛(花屋與兵衛が正しいとの説あり)が江戸前ずしの成立に少なからず関与していたことに違いはない。その「與兵衛鮨」は1810年頃、両国に始まり、その店は昭和の初頭まで存在していた。二代目は小泉金三郎氏、三代目は小泉菊太郎氏、四代目は小泉喜太郎氏。

 両国「與兵衛鮨」のあった場所の近くに、墨田区教育委員会による「与兵衛鮨発祥の地」という看板が立てられており、それには1930年(昭和5年)に閉店と書かれている。「鮓・鮨・すし―すしの事典」吉野昇雄著、には「與兵衛鮨」は1932年(昭和7年)に閉店とある。

 小泉喜太郎氏の弟が小泉清三郎氏で「家庭 鮓のつけかた」(1910年)を著しており、その中の挿絵に当時の握りの様子が描かれている。小泉清三郎氏は連雀町(現在の神田付近)や百軒店(渋谷)に暖簾を分けていたとのことだが詳細不明。その後、小泉清三郎氏は俳諧の道に進み、小泉迂外として知られる俳人でもある。「銀座与兵衛鮨」と言う店もあったらしいが詳細は不明。

 なお「與兵衛鮨(与兵衛鮨)」は「二葉鮨」と千住「みやこ」とともに江戸前鮨三大開祖(始祖)の一つとされている。(これについては「銀座のすし」山田五郎著、に早川光氏の提唱と記載されている。)

 ちなみに「江戸の三大すし屋(江戸三すし)」として江戸時代に人気を博したのが「松が鮓」「與兵衛鮨」「毛抜き鮓」の三店とのこと(「鮓・鮨・すし―すしの事典」吉野昇雄著 旭屋出版 1990年)。

 

 

 

 











 

 

  • 参考書籍

 

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年(株)文藝春秋

「鮓・鮨・すし―すしの事典」吉野昇雄著 1990年 旭屋出版

「家庭 鮓のつけかた」小泉清三郎(迂外)著 1910年 東京割烹研究会