その二十七 「あら輝」

 「寿司いずみ」出身の荒木水都弘氏は2000年に上野毛「あら輝」として独立した。独立前には「きよ田」の二代目新津武昭氏に師事した。新津武昭氏は「きよ田」がまだ六本木にあった頃に藤本繁蔵氏のもとで働いており、その頃の「きよ田」には藤本繁蔵氏、清水喜久男氏、井上正典氏、新津武昭氏、小林氏(詳細不明)がいて、新津武昭氏はまだつけ場に立っていなかった。

その十 「きよ田」 - すしの系譜

 

 荒木水都弘氏は「きよ田」の新津武昭氏に弟子入りを申しでるも新津武昭氏はそれを認めなかった。ただ、週一回仕込みを見ることを許され、その技術を継承したとされる(「銀座の鮨の物語(あら輝・増田勇):フジテレビ」)。

 その荒木水都弘氏は2010年に銀座に店を移すが、新天地を求めて2014年にロンドンに「THE ARAKI」を開店。現在は弟子のマーティ・ラウ氏に引き継ぎ、2019年に香港に新店を開設した。

 荒木水都弘氏の銀座移転の後、上野毛の店を引き継いだのが、「鮨嘉瑞」の堀内氏。大阪から上野毛に移り、2012年には京都で開業した。

 上野毛「あら輝」で修業していたのが市川克海氏。市川克海氏は「菊之井」での修業の後「あら輝」ですしを学ぶ。「あら輝」が銀座に移転した時には、ともに銀座「あら輝」に移るが、荒木水都弘氏のロンドン進出を機に上野毛の店を「いちかわ」として引き継いだ。その後、2017年に白金に移転して現在に至る。

 「あら輝」の弟子として修業していたのが駒田権利氏。伊勢のすし店から一念発起して荒木水都弘氏の弟子となり、その後伊勢に戻り、2013年に「こま田」をオープンする。

 その他、荒木水都弘氏の弟子には名古屋「浜源」の二代目鈴木太郎氏、「鮨行天」の行天健二氏がいる。

 ちなみに新津武昭氏は2008年頃に「鮨青木西麻布」で握っていた。

 

 

(追記)2021年2月15日

「浜源」の鈴木太郎氏は上野毛「あら輝」の最初のお弟子さんとのこと。

(当ブログの閲覧者様より情報をご提供いただきました。)

 

 

 



















 

 

  • 参考書籍・その他

 

「銀座の鮨の物語(あら輝・増田勇):フジテレビ」

dancyu」2006年1月号 プレジデント社

「鮨」食べログBOOKS 2018年 セブン&アイ出版

 東京生活別冊「東京のすし通になれる本」 2006年 枻出版社