番外編その一 「現存する老舗江戸前すしの店」

 少し前まで「現存する最古の江戸前すし」の店として知られていた銀座「すし栄」は、嘉永元年(1848年)に神田旅籠町に創業したのが始まりで、初代は倉田栄蔵氏。二代目は倉田金太郎氏。三代目の倉田華太郎氏は明治29年(1896年)生まれで、倉田華太郎氏の時、昭和10年(1935年)に銀座数寄屋橋に移転した。当時、たいそう繁盛したらしい。(「すし技術教科書・江戸前ずし編」 全国すし商環境衛生同業組合連合会監修 佳藤木一整 編 1975年初版 旭屋出版)

 四代目が倉田桂二郎氏、五代目が倉田元治氏であり、2013年に「すし栄(本店)」は閉店となった。

 銀座「すし栄」の支店として「すし栄木挽町店」「すし栄渋谷東急東横のれん街店」「すし栄浅草松屋地階店」などがあったがいずれも閉店。今は浅草「すし栄」などの暖簾分けの店が残る。

 現存する最古の江戸前すしの店は、おそらく芝浦「おかめ鮨」と思われる。「おかめ鮨」は安政2年(1856年)(芝浦「おかめ鮨」ホームページより)に創業し、現在は五代目の長谷文彦氏が暖簾を受け継いでいる。

 次に古いと思われるのが九段下「寿司政」で、創業は文久元年(1861年)となる。日本橋で屋台をひきながら商売を始めたのが初代戸張好造氏で、二打目太田福松氏の時には神田三崎町の歌舞伎小屋ですしを握っていた。二代目の長男として生まれた戸張政次郎氏の時に今の九段下に店を構えた。現在は四代目の戸張太啓寿氏が店主を務め、五代目の戸張正大氏に引き継がれていく(九段下「寿司政」ホームページより)。

 その次が助六寿司の発祥とされる新富町「蛇の目鮨本店」で、創業は元治2年・慶應元年(1865年)。以下「弁天山美家古寿司」「日本橋すし鉄本店」と続く。

 

(調べた以外にも老舗江戸前すしの店は多数あると思われます。また、東京都心部以外にも老舗は多数あり、たとえば南房総市千倉町の「大徳家」は明治2年(1869年)創業。)

 

(追記)2020年4月11日

 築地「鮨文」は創業150年以上で、江戸末期創業とのことだが詳細不明。現在は五代目の磯貝(江間)真喜さん(四代目 江間晃二氏の次女)が暖簾を受け継ぐ。

 

 

 

 

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  • 参考書籍

「すし技術教科書・江戸前ずし編」 全国すし商環境衛生同業組合連合会監修 佳藤木一整 編 1975年初版 旭屋出版

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋