その三十八 「逸喜優」

 細川四郎氏は自由が丘「とよ鮨」(閉店)出身で、1981年頃に碑文谷で「逸喜優(いっきゅう)」を開店した。「いっきゅう」と店名は決めていたが「一休」は平凡なので逸く(はやく)喜んでもらって優雅にということで「逸喜優」という当て字にしたとのこと。細川四郎氏の出身の自由が丘「とよ鮨」(閉店)の芳沢孝治氏は千住「寿司栄」の小池栄之助氏の弟子で、さらにさかのぼると、1930年台に創業した芝愛宕「玉寿司」(閉店)に行き着くらしい(「江戸前にぎり こだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社)。

 碑文谷の「逸喜優」の暖簾分けとして二子玉川「鮨逸喜優(二子多摩川店)」と南久が原「鮨逸喜優はらだ(鵜の木店)」があるが「逸喜優はらだ」は閉店。現在は荻原龍也氏の二子玉川「逸喜優」が残る。

 「逸喜優」は台湾の台北に「野壽司」を展開。オープン時には藤永大介氏(「江戸前鮓すし通」「鮓ふじなが」)が料理長兼店長に就任。二代目の野村裕二氏は独立して2011年に台北「野村壽司」を開き、現在は三代目の佐藤隆治氏。

 細川四郎氏は2005年に銀座に「逸喜優」を移転するが、2006年にあざみ野に店を移して現在に至る。

 

  

 







 

 

  • 参考書籍

 

江戸前にぎり こだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

東京生活別冊「東京のすし通になれる本」 2006年 枻出版社