その四十五 「鮨處寬八」

 

「鮨處寬八」の山田博氏は石川県羽咋市出身。1933年(昭和8年)生まれ。1948年に上京して翌年「三長会」に所属して「蛇の目鮨」で修業した。その後、青森「一力」に移動、東京に戻ってから有楽町「九重纏寿司」に勤めた。その後も「三長会」に所属しつつ銀座「勘八」(飯沼春吉氏)、銀座「すし春」(鈴木民部氏)、銀座「美よし鮨」などでの仕事を経て、1964年に独立して御徒町に「鮨處寬八」を開業した。1979年に同じ御徒町で店を移動、その「鮨處寬八本店」は山田博氏が85歳になる2018年9月に引退閉店となった。「鮨處寬八」には湯島店、鶯谷店、上野店があったが、いずれも閉店となっている。

  三長会

 その十三 「奈可田」 - すしの系譜

 その二十五 「寿し屋の勘八」 - すしの系譜

 「鮨處寬八」の出身者としては、谷中「八車」(閉店)の竹内豊氏(「鮨處寬八湯島店店長」)、福井「すし處はら田」の原田修氏(「鮨處寬八鶯谷店店長」)、豊橋「滝鮨」の伊藤順次氏(「鮨處寬八鶯谷店」)などがいる。

その経緯については山田博氏の著書の「こころで握る」(2014年、メタ・ブレーン)に詳しい。

 その他の「鮨處寬八」出身の職人としては、柴田英昭氏が「鮨處寬八」「鮨奈可久」で修業した後に、実家の船橋「おかめ寿司」に戻り、三代目として継承。

 北海道出身の渡邊彰氏は「鮨處寬八」で16年ほど修業した後に「鮓かね庄」を浅草に開業。

 「鮨處寬八」で渡邊彰氏の後輩にあたる後藤友佑氏は「鮨處寬八」修業後に、錦糸町「魚寅鮨」などに所属し、2017年に「鮨たか橋」のつけ場に立ち、2020年6月からは「寿し処 川(せん)」を任された。

 

 

 

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  • 参考書籍

 

「こころで握る」山田博著 2014年 メタ・ブレーン

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

dancyu」2018年8月号 プレジデント社