その四十六 「新富鮨」

「新富鮨」は大正初期に和田富太郎氏が出した屋台に始まる。新橋に構えた店は昭和初期には立ち食いの場所があったことが、当時の写真でうかがえる(「すし通」永瀬牙之輔著)。

 その後、1927年(昭和2年)に和田富太郎氏の弟の神山幸次郎氏が新橋に「新富寿し」を開き、1955年(昭和30年)に銀座5丁目に店を移した。二代目は神山幸次郎氏の妻で、三代目として神山幸次郎氏の孫にあたる神山富雄氏に暖簾が引き継がれたが、2017年に閉店となっている。

 銀座「新富寿し」で修業した三橋克典氏が銀座「み富」として「新富鮨」の系譜を受け継ぐ。

 「新富鮨」の出身としては、名人と言われた矢沢貢氏が「新富鮨」として新橋に開業したが、今は閉業となっている。矢沢貢氏の息子が青山に開業し、北青山三丁目の第一青山ビルの「新富寿司」がそれにあたると思われるが、ここも現在は閉業となっているため、詳細は不明。

 また神山幸次郎氏の兄弟弟子で「新富鮨」で修業したのが鈴木博恭氏で1950年に銀座「きかく鮨」を開店。「きかく鮨東店」という支店もあったようだが、いずれも閉店となっている。

 その「きかく鮨」での修業経験があるのが菊池寬氏で、西麻布に「鮨寛」を開業している。

 

(追記)2021年9月13日

 銀座「新富寿し」で6年間修業した安田豊次氏の大阪「すし豊」と「かぐら坂新富寿司」を系譜に追加しました。

 

 

f:id:karasumiblog:20220405185313j:plain







 

 

  • 参考書籍

 

「すし通(昭和5年名著)」永瀬牙之輔著 1983年 土曜社

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年(株)文藝春秋