その四十九 「すし匠齋藤」

 

 齋藤敏雄氏は1968年山梨県生まれ。高校卒業後に最初に修業したすし店で中澤圭二氏と出会い、「すし匠さわ」開業時のメンバーとなる。1993年、四谷「すし匠」が開店する時に渡米、主にニューヨークですし職人として活躍し、2001年に帰国して四谷「すし匠」に入った。その後、2006年に独立して「すし匠齊藤」を赤坂の地に開業した。

 齋藤敏雄氏の弟子にあたるのが、「一番町てる也」の飯田照也氏と「不動前すし岩澤」の岩澤資之氏である。

 飯田輝也氏は親の仕事の関係で高校時代からニューヨークに在住しておりニューヨークにいた齋藤敏雄氏に声をかけられてすし職人の道を目指した。日本に帰国してからは中澤圭二氏の紹介で、宮崎で生魚も扱うお店で2年ほど修業、六本木のすし店を経て、齋藤敏雄氏の独立を機に「すし匠齋藤」で修業を行った。その6年後の2012年、麹町に「一番町てる也」を開業した。

 岩澤資之(もとゆき)氏は前職がシステムエンジニアリングという異色の経歴の持ち主。25歳の時にすし職人を目指し、すし店に入職。その後「すし匠齊藤」の二番手として修業し、41歳となる2016年に「不動前すし岩澤」をオープンした。

 

(追記)2021年11月7日

 秋田出身の小池彰範氏は「すし匠齋藤」「すし岩瀬」で修業し、「不動前すし岩澤」を経て2019年8月、逗子に「鮨波良(なら)」を独立開業。