その六十二 「すし善」後編

 「すし善」出身者は多く全てを網羅できないが、全国、世界にその系譜は広がっている。

 「金寿司」は1934年(昭和9年)創業で現在は三代目。(札幌では「東寿し」1875年(明治8年)創業(閉店)が最古であったが、現在は「菊鮨」の1923年(大正12年)が最古の創業とされる。)「金寿司」三代目の今井努氏は「すし善」で修業歴があるとのこと。

 齊藤智行氏は神奈川県藤沢市のすし店で12年間修業し、その後札幌「すし善」に転職。おもに「すし善」の支店で修業して2011年6月に「鮨さいとう」として独立した。

 「すし乃ふじ田」は藤田慶志氏の店。途中移転して現在の地。「すし乃ふじ田」からは「すし処のむら」「すし・かわ野」「すし乃なか西」「すし乃いわ崎」が独立している。「すし乃いわ崎」は「ふじ田」で13年修業し、2012年6月に独立した岩崎朝也氏。途中移転して現在地。「すし乃なか西」は2012年に中西隆広氏が独立。

 1974年生まれの山田英貴氏は「すし善」で研鑽を積み2012年6月に「寿しひでたか」をオープン。

 大金有三氏は1958年生まれ。北海道のホテルや東京のすし店など4店舗で修業し、その後「すし善」に入り30年以上。すし歴50年以上。2020年6月「かね善(かねよし)」を開業。

 1976年福島県生まれの酒井博幸氏は東京で修業後に「すし善」で11年間修業して「すしさか井」を2015年8月に開業。

 函館「梅乃寿司」は1963年(昭和38年)の創業。二代目の金丸正善氏は「すし善」で7年間修業した。

 1974年生まれの中港大将氏の父親は旭川「港寿司」を営んでいたすし職人。中港大将氏は「すし善」や東京の日本料理店で修業し、その後恵比寿の日本料理「笹岡」で3年間研鑽を積んだ。1999年に「港寿司」が火事で全焼。店を閉めるとの連絡をうけて二代目として2001年に場所をかえて「鮨みなと」をオープンした。

 1982年福井県のすし店に生まれた塚田哲也氏は高校卒業後に「すし善」で修業。6年間の経験後に福井の実家の「鮨十兵衛」に戻り、2013年からは二代目として店舗も全面改装して現在に至る。

 「青山すし泉」の小泉恵一郎氏は1970年埼玉県の生まれ。大学卒業後に「すし善」で5年ほど修業し、その後シアトルやロサンゼルスのすし店を経験し、2000年に「青山すし泉」をオープンした。

 「鮨佐瀬」は香港の老舗すし点。店主は「すし善」で修業した佐瀬和男氏。2019年に移転して現在に至る。

 

(追記)2021年3月1日

 北海道小樽で修業後、札幌「すし善」で修業した大門太郎氏が地元の魚津に「鮨大門」を開業したのが2012年11月。

 滋賀県長浜に1953年に開業した「京極寿司」の三代目眞杉国史氏は大学卒業後、北海道、東京、福井で修業した。「すし善」での修業歴があり、その時の縁で福井「十兵衛」で1年ほど修業してから実家に戻った。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

(追記)2021年9月22日

 青山「すし泉」で修業し、「広尾すし家」(閉店)のあとに2005年西麻布に「きたむら」を開業した北村敦氏(2009年に「きたむら別館」をオープン)、「すし泉」で1年ほど修業し、その後「きたむら」を経て大分に帰郷し「月の木」をオープンした赤嶺桂一郎氏を系譜図に追加しました。

 

(追記)2021年12月14日

 札幌「すし善」で修業し、ロイヤルパークホテルの料理人として13年ほど務めた高江弘幸氏が2021年11月15日、麻布十番近くの東麻布に「鮨たかえ」を開店。

 

 

 

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