西健一郎氏は1937年8月8日に京都で生まれ、日本料理の神髄を追求し多大な功績を治めた伝説の料理人で、京都「たん熊」で修業を始め、「京味」は1967年(昭和42年)に新橋に構えた店である。西健一郎氏は2019年7月26日にお亡くなりになり、その後「京味」は2019年12月28日を最後に閉店となった。
西健一郎氏の父が西音松氏で、1897年(明治30年)1月1日に三重県で生まれ、14歳で京都西陣の料亭「万治家」で修業を始め、その後南禅寺の「瓢亭」で20年あまり修業、34歳の時に西園寺公望公爵のお抱え料理人となった。戦後は赤坂「たん熊」などで働いたが、その後一線を退いて佃煮をつくる店「西佃煮店」を開いている。亡くなる前の10年ほどは月の半分を「京味」で過ごし、息子の健一郎氏と仕事を共にした。音松氏が亡くなられたのが1983年(昭和58年)1月1日であった。
1982年(昭和57年)頃の京味
西健一郎氏の料理の原点に父・音松氏の存在があったことは想像に難くない。西健一郎氏の活躍については多くの書籍や逸話が残されているので、ここでは触れないが、多くの弟子を育てたことでも知られている。
「京味」で西健一郎氏のもとで修業した多くの料理人が自分の店を持ち、さらにその店で修業した料理人も、いわゆる孫弟子として活躍している。「すしの系譜」のブログであるが、特別編として「京味」の系譜を載せる。なお、この系譜図以外にも多くの料理人が「京味」で修業し、それぞれの場所で西健一郎氏の遺伝子を受け継いでいることを申し添える。
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*** 京味の系譜 ***
掲載店(順不同)
「京味」
「京津田」
「京料理と村」
「味三昧中村橋本店」
「もりかわ」
「銀座あさみ」
「新ばし笹田」
「井雪」
「くろぎ」
「小いわ」
「小熊」
「車力門ちゃわんぶ」
「新ばし星野」
「味ひろ」
「味享(みたか)」
「森ふじ」
「富味座(とみくら)」
「喜作」
「山﨑」
「銀座うち山」
「六寬」
「川田」
「御成門はる」
「礒田」
「嗣味(つぐみ)」
「日本料理太月」
「徳うち山」
「銀座くどう」
「青山仁」
「杢兵衛(もくべえ)」
「貴久政」
「割烹若松」
「かき正」
「寿司・割烹咲乃野」
「島田中」
「つろく」
「府中庵待月楼」