2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

その三十八 「逸喜優」

細川四郎氏は自由が丘「とよ鮨」(閉店)出身で、1981年頃に碑文谷で「逸喜優(いっきゅう)」を開店した。「いっきゅう」と店名は決めていたが「一休」は平凡なので逸く(はやく)喜んでもらって優雅にということで「逸喜優」という当て字にしたとのこと。…

その三十七 「鮨よしたけ」

吉武正博氏は高校卒業後に「寿司田」に入社し、銀座「写楽」で修業を始めた。その後「寿司田」グループのいくつかを回り、ニューヨーク店に移動、帰国後は東陽町のすし割烹や六本木にあったベルファーレ内の「香花」に勤め、2004年、六本木七丁目に「すし吉…

その三十六 「寿司田」

「寿司田」は1951年に経営の佐田勉氏が飯田橋に創業した「房乃寿司」に始まる。その後1955年、日本橋茅場町に「寿司田」を開業、その時の板長は「三長会」の佐藤清一氏であった。現在の代表取締役社長は佐田都史夫氏で「寿司田」の他、「乾山」「写楽」「古…

その三十五 「小笹寿し」

「小笹寿し」は寿平八郎氏が1950年に新橋に創業したのが始まりで、「浅草けぬきずし」で三代目親方であった藤村宗次郎氏が、初代の板長となった。1954年には、銀座8丁目の現在地に移転する。当時の「小笹寿し」にいたのが岡田周三氏である。その後、1968年…