2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

その四十八 「すし浅尾」

中澤圭二氏は26歳の時に「すし匠さわ」の店長となるが、その時の弟子が、22歳の浅尾英二氏、21歳の齋藤敏雄氏、そして17歳の岡正勝氏であった。四谷「すし匠」を始めるときに規模を縮小する中で、中澤圭二氏の命で浅尾英二氏は沼津のすし店に移動し、そこで…

その四十七 「すし匠」

中澤圭二氏は1962年、東京に生まれる。中学卒業後に各地のすし店や割烹・料亭などで修行を重ねた。最初に修業を始めたのが東久留米の鰻割烹「川松」であり、21歳の時には東久留米「喜平寿司」ですしを握った。大阪心斎橋にあった割烹「川久」などで修業し、1…

その四十六 「新富鮨」

「新富鮨」は大正初期に和田富太郎氏が出した屋台に始まる。新橋に構えた店は昭和初期には立ち食いの場所があったことが、当時の写真でうかがえる(「すし通」永瀬牙之輔著)。 その後、1927年(昭和2年)に和田富太郎氏の弟の神山幸次郎氏が新橋に「新富寿…

番外編その二 「すしの握り方」 ③本手返し

「本手返し」は最も伝統的な返しの手法と言われており、木挽町の「美寿志」で明治時代に完成されたと言う説がある。(小堺化学工業株式会社ホームページより:食のサロン 「江戸前鮨の話」 | 小堺化学工業株式会社)。 華麗で美しいが、手数が多く時間がかか…

番外編その二 「すしの握り方」 ②縦返し

「縦返し(立て返し)」は左手に持ったネタとシャリを、手を返して(甲を上にして)ネタが上になった状態で右手の親指と人差し指で受けて返す方法。「仏壇返し」「俵返し」などとも呼ばれている。 崩れやすいネタや滑りやすいネタなどの「小手返し」で横に転…