2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

その二十九 「都寿司」

日本橋蛎殻町「都寿司」は明治20年(1887年)創業の老舗。初代は山縣太三吉氏で以前からすし店を営んでいたが、その詳細はわからず、明治20年創業としたとのこと。二代目は山縣浅七氏。三代目山縣曻太郎氏が山縣正氏の父で、第二次世界大戦後は自転車修理業…

その二十八 「青柳」

「寿し屋の勘八」はすし職人の修業の場でもあり、系列店も多数あるが独立開業する職人も多い。「寿し屋の○○」「勘○」「○勘」などの店名は「寿し屋の勘八」出身者が多い。たとえば「すし屋の勘六」「すし屋の野八」「すし屋の芳勘」など。 「すし屋の野八」の…

その二十七 「あら輝」

「寿司いずみ」出身の荒木水都弘氏は2000年に上野毛「あら輝」として独立した。独立前には「きよ田」の二代目新津武昭氏に師事した。新津武昭氏は「きよ田」がまだ六本木にあった頃に藤本繁蔵氏のもとで働いており、その頃の「きよ田」には藤本繁蔵氏、清水…

その二十六 「寿司いずみ」

「寿司いずみ」の佐藤勇氏は「寿し屋の勘八」出身。佐藤勇氏は1926年の生まれで1936年に日本橋の鮨屋「弁富」に年季奉公に入った。終戦後の1945年に日本橋から暖簾分けした築地「弁富」に入る。その後は都内のすし屋を10年程度かけて多数回り「銀座勘八」の…

その二十五 「寿し屋の勘八」

「寿し屋の勘八」の創業は1953年で、創業者はすしの職人ではなく経営専門の中村孝行氏と言う人で、現在の代表者は中村達氏。初代の親方は飯沼春吉氏と言い「三長会」に属する優れた職人であった。銀座7丁目に創業し、その頃には「喜久好」(閉店)の清水喜…

その二十四 「新ばし しみず」

石丸久尊氏の弟子として「新橋鶴八」で修業したのが清水邦浩氏で、1999年に新橋に「鮨処しみず」として開業した。現在は場所を移して「新ばししみづ」となっている。 清水邦浩氏の弟子としては「鮨まつもと」の松本大典氏が独立して、2005年に京都に店を開い…