その六十四 「鮨一」

(追記)2021年9月22日

 青山「すし泉」で修業し、「広尾すし家」(閉店)のあとに2005年西麻布に「きたむら」を開業した北村敦氏(2009年に「きたむら別館」をオープン)、「すし泉」で1年ほど修業し、その後「きたむら」を経て大分に帰郷し「月の木」をオープンした赤嶺桂一郎氏を系譜図に追加しました。

その六十二 「すし善」後編 - すしの系譜

 

 

(追記)2021年9月22日

 「鮨銀座おのでら」のONODERA GROUPのフードサービス事業を担う株式会社ONODERAフードサービスが新業態として、2021年10月に表参道「廻転鮨銀座おのでら本店」、表参道「立喰鮨銀座おのでら本店」、二子玉川「鮨銀座おのでら弟本店」をオープン。前2店舗は総本店料理長の坂上暁史氏が監修。「鮨銀座おのでら弟本店」は赤坂、銀座などで料理長をつとめた黒澤重正氏が担当。

その六十 「鮨銀座おのでら」 - すしの系譜

 

 

(追記)2021年9月19日

 2021年9月より屋号を「鮨大六」として新規スタッフで再開とのこと。

(追記)2021年8月6日

 2021年8月3日現在「大六」は休業中で、大将を含めて新規スタッフを募集中とのこと。

(追記)2021年7月9日

 2021年6月恵比寿に「鮨とかみ」「鮨竜介」などで修業した志村大和氏が店主となる「大六」がオープン。

 

 

(追記) 2021年9月14日

 「寿司幸」で修業した住本圭司氏の松山「すみもと」、樋口芳正氏の大阪にある「鮨樋口」を系譜図に追加しました。

その二 「寿司幸」 - すしの系譜

 

(追記)2021年9月13日

 等々力の「すし処會」で13年ほど修業し、フレンチでの修業歴もある上野純平氏の渋谷「鮨五徳」(移転前は「五徳」)を系譜図に追加しました。

その二十五 「寿し屋の勘八」 - すしの系譜

その二十八 「青柳」 - すしの系譜

 

(追記)2021年9月13日

 銀座「新富寿し」で6年間修業した安田豊次氏の大阪「すし豊」と「かぐら坂新富寿司」を系譜図に追加しました。

その四十六 「新富鮨」 - すしの系譜

 

(追記)2021年9月11日

 「銀座小十」で修業し、その後「日本橋蛎殻町すぎた」で2番手までつとめていた安井大和氏が2021年8月30日、築地に「鮨処やまと」を開業。

その三十 「日本橋蛎殻町すぎた」 - すしの系譜

 

(追記)2021年9月7日

 祖師谷大蔵の「青柳(閉店)」で20年修業した楠本光秀氏の「寿し屋の楠本」と学芸大学の「すし屋の芳勘」出身の中山信博氏が営む等々力にある「すし処會」を追加しました。

その二十五 「寿し屋の勘八」 - すしの系譜

その二十八 「青柳」 - すしの系譜

 

(追記)2021年9月5日

 2021年9月2日、四谷「三谷」の三谷康彦氏が東京ガーデンテラス紀尾井町の「紀尾井町三谷」と同じフロアに「紀尾井町三谷別邸」をオープン。本多栄輝氏と小峰翔太氏が担当とのこと。

その三十三 「三谷」 - すしの系譜

 

(追記)2021年9月5日

 2021年9月5日、東京駅前の日本橋3丁目に青山「海味」の支店、「八重洲 鮨 海味」がオープン。

その三十四 「海味」 - すしの系譜

 

 

 「鮨一」が銀座に開店したのが2005年9月。店主は三橋薫氏、上倉孝史氏、石橋正和氏、山根竜介氏などが歴任している。海外にも支店を持ち、現在はシンガポール店、バンコク店、ジャカルタ店を展開。

 シンガポール店は当初、銀座「久兵衛」出身の矢部裕二氏が店主だったが、2015年7月リニューアルオープン後は「鮨一銀座本店」の石橋正和氏が行き来するなどしていたらしい。石橋正和氏は姉妹店のシンガポール「小康和」でも活躍され、「小康和」はその後作田至生(よしお)氏に引き継がれた。

 「鮨一」で店主を務めた上倉孝史氏は銀座「久兵衛」出身。2011年7月に「西麻布かみくら」として独立。石橋正和氏は麻布十番に2017年10月「鮨石橋正和」をオープンした。中目黒「宇田津鮨」の宇田津久氏も「鮨一」の出身。平山龍一氏は「鮨一」その後銀座「鮨ふじ田」で修業して2019年8月に銀座に「鮨龍いち」を開業した。荒川直紀氏も静岡「末廣鮨」での修業後、シンガポールの「鮨一」「小康和」での修業を経て金沢に「Sushi直」をオープンした。

 

(追記)2021年8月6日

 2020年3月に新宿でオープンした「すし寿」を追加。店主は渡邉守氏。

 

 

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〜 今後の予定〜

 

その六十五 「鮨なかむら」

その六十六 「おかめ鮨」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その六十三 「蔵六鮨」

 

 「蔵六鮨」は1980年に六本木に開業。ほどなく岡島三七氏が店主となる。岡島三七氏の経歴は恵比寿「割烹入船」から始まり、姉妹店『入船寿司』にて長年修業を積んだとのこと。その後、六本木に3店舗(「本店」「西店」「三丁目店」)、青山に1店舗を展開していたがいずれも閉店。岡島三七氏は2012年8月に広尾「蔵六鮨三七味(ぞうろくずしみなみ)」として開業して現在に至る。蔵六の由来は幕末期長州藩大村益次郎の通称の一つ「蔵六」にちなみ命名したとのこと。(「蔵六鮨三七味」ホームページより:https://www.zourokusushi.com

 1995年6月に「蔵六鮨三丁目店」の場所に「蔵六鮨さか井」(閉店)をオープンし、店主は酒井利夫氏が務めていた。酒井利夫氏は2017年9月に麻布十番に「蔵六鮨さかい」として独立した。

 「蔵六鮨」は多くの職人をかかえ、小高雄一氏もその一人。1979年生まれ。埼玉や赤坂のすし店で修業し、岡島三七氏のもと六本木「蔵六鮨本店」で修業した。2012年3月に六本木「蔵六雄山」を開業。2019年4月に平河町の「ザ・キタノホテル東京」に「蔵六雄山」の支店をオープン(現在は閉店)。六本木本店改装中、小高雄一氏は平河町店にいたが、佐伯真生氏がおもに店をまかされていた。

 その他「白金ふくだ」(閉店)の福田篤氏や「西麻布拓」の佐藤卓也氏などが「蔵六鮨」の出身。

 

(追記) 2021年5月9日

 1960年(昭和35年)創業の新潟「兄弟寿し」の二代目本間龍史氏は「蔵六鮨三七味」で修業して「兄弟寿し」を引き継いだ。店舗は2016年3月にリニューアル。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

 

 

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その六十二 「すし善」後編

 「すし善」出身者は多く全てを網羅できないが、全国、世界にその系譜は広がっている。

 「金寿司」は1934年(昭和9年)創業で現在は三代目。(札幌では「東寿し」1875年(明治8年)創業(閉店)が最古であったが、現在は「菊鮨」の1923年(大正12年)が最古の創業とされる。)「金寿司」三代目の今井努氏は「すし善」で修業歴があるとのこと。

 齊藤智行氏は神奈川県藤沢市のすし店で12年間修業し、その後札幌「すし善」に転職。おもに「すし善」の支店で修業して2011年6月に「鮨さいとう」として独立した。

 「すし乃ふじ田」は藤田慶志氏の店。途中移転して現在の地。「すし乃ふじ田」からは「すし処のむら」「すし・かわ野」「すし乃なか西」「すし乃いわ崎」が独立している。「すし乃いわ崎」は「ふじ田」で13年修業し、2012年6月に独立した岩崎朝也氏。途中移転して現在地。「すし乃なか西」は2012年に中西隆広氏が独立。

 1974年生まれの山田英貴氏は「すし善」で研鑽を積み2012年6月に「寿しひでたか」をオープン。

 大金有三氏は1958年生まれ。北海道のホテルや東京のすし店など4店舗で修業し、その後「すし善」に入り30年以上。すし歴50年以上。2020年6月「かね善(かねよし)」を開業。

 1976年福島県生まれの酒井博幸氏は東京で修業後に「すし善」で11年間修業して「すしさか井」を2015年8月に開業。

 函館「梅乃寿司」は1963年(昭和38年)の創業。二代目の金丸正善氏は「すし善」で7年間修業した。

 1974年生まれの中港大将氏の父親は旭川「港寿司」を営んでいたすし職人。中港大将氏は「すし善」や東京の日本料理店で修業し、その後恵比寿の日本料理「笹岡」で3年間研鑽を積んだ。1999年に「港寿司」が火事で全焼。店を閉めるとの連絡をうけて二代目として2001年に場所をかえて「鮨みなと」をオープンした。

 1982年福井県のすし店に生まれた塚田哲也氏は高校卒業後に「すし善」で修業。6年間の経験後に福井の実家の「鮨十兵衛」に戻り、2013年からは二代目として店舗も全面改装して現在に至る。

 「青山すし泉」の小泉恵一郎氏は1970年埼玉県の生まれ。大学卒業後に「すし善」で5年ほど修業し、その後シアトルやロサンゼルスのすし店を経験し、2000年に「青山すし泉」をオープンした。

 「鮨佐瀬」は香港の老舗すし点。店主は「すし善」で修業した佐瀬和男氏。2019年に移転して現在に至る。

 

(追記)2021年3月1日

 北海道小樽で修業後、札幌「すし善」で修業した大門太郎氏が地元の魚津に「鮨大門」を開業したのが2012年11月。

 滋賀県長浜に1953年に開業した「京極寿司」の三代目眞杉国史氏は大学卒業後、北海道、東京、福井で修業した。「すし善」での修業歴があり、その時の縁で福井「十兵衛」で1年ほど修業してから実家に戻った。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

(追記)2021年9月22日

 青山「すし泉」で修業し、「広尾すし家」(閉店)のあとに2005年西麻布に「きたむら」を開業した北村敦氏(2009年に「きたむら別館」をオープン)、「すし泉」で1年ほど修業し、その後「きたむら」を経て大分に帰郷し「月の木」をオープンした赤嶺桂一郎氏を系譜図に追加しました。

 

 

 

 

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その六十一 「すし善」前編

 

 嶋宮勤氏は1943年(昭和18年)北海道小樽で生まれ、中学卒業と同時に上京して銀座のすし店で修業。1年で北海道に戻り札幌のすし店で3年。その後上京して横浜のすし店で3年修業した後に「なか田」に入り、中田一男氏のもとで修業した。

その十三 「奈可田」 - すしの系譜

 1968年に札幌に戻り1971年に札幌すすきのに「すし善」を創業した。1984年には円山に本店を移転。2018年7月にリニューアルオープンして現在に至る。2002年に東京汐留に出店(現在の「美寿思」の場所)、その後、2011年に銀座に移転した。

 

 その「すし善」の出身者は多数おり、全国で活躍されている。

 眞田光保氏が「すし善」から「善」の字を受け継ぎ「たる善」を創業したのは1989年頃のこと。2008年に店舗を移転して現在に至る。2007年4月には新丸の内ビルディングに「たる善丸の内店」をオープンした。その「たる善」で修業した大阪智樹氏は2010年9月に「鮨棗(なつめ)」を独立開業。「鮨棗」は現在、札幌に4つ、東京に1つの店舗を展開している。2011年に姉妹店の「鮨葵」をオープン。その後「鮨棗」と店舗合併や移動などがあり、現在の場所は2018年4月からで、店主を務めるのは浦仁(うらじん)氏。

 札幌「○鮨(まる鮨)」は1987年の創業で初代の川崎武司氏は「すし善」出身。現在はハワイのワイキキで「○鮨」(2017年2月オープン)を営んでいる。二代目川崎純之亮氏は銀座「小笹寿し」で5年間修業後、2016年1月に父から店を引き継いだ。

その三十五 「小笹寿し」 - すしの系譜

「鮨匠嵯峨野」は小山内時勝氏の店で1991年頃の開業。二代目の息子さんも「すし善」での修業歴があるとのこと。「すしのかま田」の鎌田秀三氏は「すし善薄野店」の店長を長年勤めた後、独立開業した。「すし田」や「すし善すすきの店」で修業した中野健一郎氏は札幌郊外に「鮨なか」を2007年に開業。

 「鮨一(すしかず)」は1989年創業。旭川出身の内田一行氏は「東寿し」(閉店・1875年(明治8年)創業で札幌最古のすし店だった。)「すし善」で修業して独立した。2008年頃に現在の場所に移転。「鮨一」出身の船渡寛一氏は「鮨かん壱」を2018年10月にオープン。

「すし処ひょうたん」は「すし善」の一番弟子である会津出身の渡部氏?が1980年代に開業した。「鮨処有馬」の有馬正隆氏は北竜町出身。「すし処ひょうたん」から2003年に独立開業。また「鮨処よしな(仁)」は2012年6月開業。店主の吉田和晃氏は「すし善」「すし処ひょうたん」で修業して独立した。

「すし善」や銀座「鮨処順」などで修業した工藤真也氏が2008年に開業したのが「鮨富士」。

 静庸介氏は18歳の時から「すし善」で10年あまり修業して独立。「すし処静(しずか)」を2011年にオープンした。札幌市内のホテルや金沢の日本料理店で修業した弟・静裕介氏と途中から一緒に営んでいたが、静裕介氏は2019年10月に和味酒彩「秋夏(しゅうか)」として独立。

 

 

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その六十 「鮨銀座おのでら」

 

 小野寺裕司氏(CEO)のONODERA GROUPのフードサービス部門の一つが「銀座おのでら」で鮨・天ぷら・鉄板焼きなどの外食産業を展開している。鮨は銀座のほか、上海、ハワイなど5店舗を経営している(2021年1月現在)。世界統括総料理長として銀座店(総本店)を任されているのが坂上暁史氏で、札幌「すし善」で10年ほど修業した後、2013年4月の「鮨銀座おのでら」の立ち上げから関わっている。

 「鮨銀座おのでら」の出身としては「鮨長島」の新井智晴氏がいる。新井智晴氏は銀座店を経て、ハワイ店、ニューヨーク店を勤務して帰国し「鮨長島」を開店。15歳から鹿児島・長島で3年間漁師をしていた経験から店名を「鮨長島」とした。

 また「鮨銀座おのでら」「ます田」で修業して「鮨来主」の個室で鮨を握っていたのが松浦修氏。2019年9月に白金に「鮨まつうら」を開業した。

 齋藤正樹氏は高校卒業後に東京のすし店に入り、23歳で札幌の「すし善」で修業、2013年に「鮨銀座おのでら」に就職した。銀座店、香港店を経て2016年にニューヨーク店の料理長に就任した。2019年カナダ・トロントに「Sushi Masaki Saito」として独立オープンした。

 「鮨銀座おのでら」で修業歴があるのが馬場幸成氏で、下高井戸「旭鮨總本店」で学んだ後に「鮨銀座おのでら」で修業し、恵比寿「SUSHI TOKYO 81」に入り2020年1月から「SUSHI TOKYO 81」の板長を務めた。2020年8月からは渋谷「鮨一(はじめ)」の板長を務めている。

 

 

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その五十九 「すし勘分店」

 代々木上原にあり著名人の利用もあった「すし勘分店」は2019年7月に閉店。店主の関清氏は銀座の「勘八」で修業した後、1974年(昭和49年)開業の川崎「すし勘(本店)」から1970年台後半に「すし勘分店」として暖簾分けした。

 「すし勘分店」で2番手だった小野淳平氏は恵比寿に「鮨小野」を開業し、2015年には現在の地に移転した(名称を「鮨屋小野」と変更)。

 その弟子には「鮨早川」の早川輝氏や「鮨早川」の姉妹店である「鮨ニシツグ」の西胤秀樹氏がいる。早川輝氏は「金太楼鮨浅草橋店」などで、西胤秀樹氏は「すし屋のまつ勘」「寿矢」などでの修業歴がある。

 

 

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  • 参考書籍

東京生活別冊「東京のすし通になれる本」 2006年 枻出版社 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十八 「寿司政」

 九段下の「寿司政」は文久元年(1861年)に初代戸張好造氏が日本橋の屋台で商売を始め、二打目太田福松氏は神田三崎町の歌舞伎小屋ですしを握っていたとある。二代目の長男として生まれた戸張政次郎氏の時に今の九段下に店を構え、現在は四代目の戸張太啓寿氏が店主を務め、五代目の戸張正大氏とともに暖簾を守っている。以上については「寿司政」のホームページをご参照いただきたい(http://www.sushimasa-t.com/aisatsu/index.html)。

番外編その一 「現存する老舗江戸前すしの店」 - すしの系譜

 

 160年あまりの歴史の中で「寿司政」で修業した職人も数多いと思われるが、近年独立した出身者として新橋「すし処まさ」の鈴木優氏がいる。「すし処まさ」はわずか3席(詰めて4席)で極めて予約困難な店として知られる。鈴木優氏は「寿司政」修業後に十条に「匠海」という店を開業したが、手の届く小さい店舗と言うことで現在の場所に移ったらしい。

 「寿司政」出身としては金沢「鮨処こいづみ」の小泉英樹氏や荻窪「鮨きたがわ」の北川俊介氏がいる。

 

 

 

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その五十七 「金多楼寿司」

 神田須田町にある「金多楼寿司」は創業が1929年(昭和4年)で、当代三代目にあたるのが藤田武氏。

 その初代の下で修業したのが野口四郎氏である。神田「金多楼寿司」の初代が本手返しを使っていたので、野口四郎氏は今でも本手返しを使う。

番外編その二 「すしの握り方」 ③本手返し - すしの系譜

「金多楼寿司」で数年修業し、和食店に勤めた後の1970年、三宿に「金多楼」を創業した。二代目の長男野口剛氏は18歳で愛知県の料亭に修業に行き、20歳の時から父の四郎氏とともにすしを握っている。

 ちなみに浅草に1924年大正13年)に創業し、東京、千葉、茨城に店舗を持つ「金太楼鮨」との関連はない。

 

 

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その五十六 「高勢」

 大正15年(1926年)「高勢」は台東区根岸に開業した。当時、根岸は花街として栄え、料亭街を形成しており、「高勢」も多くの座敷を有するすし店で、著名人も多く訪れる名店であった。初代は高橋清太郎氏で、通名として京嗣(きょうじ)と名乗っていた。二代目の長男は経営者ですし職人ではなく、二代目の時に根岸の店は閉店となる。すし職人としては次男の高橋政嗣(まさじ)氏が継承しており、浅草に「新高勢」として再興し、その後「高勢」と名称を変更、最盛期には二号店(西浅草店)を構えていた。「高勢西浅草店」は「浅草貴乃」となっている。

 高橋政嗣氏のご子息である高橋明義氏が2010年に根岸「高勢」の跡地に「和びすとろ鮨 明」を開業した。高橋明義氏は父政嗣氏の紹介でお茶の水「小川軒」などで洋食の修業を行い、ホテルミラコスタでドアマンでの経歴もある。2012年に高橋政嗣氏は浅草「高勢」をたたみ、明義氏の店の手伝いをすることとなり、店名も「鮨明高勢(あきたかせ)」となった。

 根岸「高勢」の流れを汲むのが「大塚高勢」で1963年に大塚に暖簾分けの店を開き、2019年に現在の場所に移した。

 浅草「高勢(新高勢)」で修業したのが紺野勝利氏で、2014年に「浅草高勢」をオープン。また橋口安広氏は2004年に浅草に「鮨 橋口」を開業した。橋口安広氏は2017年に逝去され、奥勝次氏が二代目として継承している。

 

(追記)2021年4月14日

 浅草「鮨橋口」の奥勝次氏が「鮨奥」として独立開業。オープンは2021年4月10日。

 

 

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その五十五 「六兵衛」

 日本橋人形町の水天宮近くにある「六兵衛」は1948年創業の老舗。二代目は森英雄氏?。おそらく三代目にあたる森隆嗣氏が継承している。

 その「六兵衛」で24年間の経験を積んで2015年に人形町馬喰横山の間の東日本橋に開業したのが一條聡氏の「鮨一條」である。

 「六兵衛」出身者としては、「千八鮨」で修業した「鮨山沖」の山沖新氏がいる。

その四十 「千八鮨」 - すしの系譜

 

 

 

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  • 参考書籍

 

dancyu」2017年1月号 プレジデント社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十四 「すし長」

 六本木の交差点近くに「鮨けん」という店があるが、その場所に戦前から30年以上の歴史を持つ「すし長」と言う店があった。店主は平野弘二氏と言い、浅草で修業したとのこと。

 その「すし長」で修業したのが山中敏彦氏で、六本木の龍土町に1975年「纏鮨」を開業して現在に至る。

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  • 参考書籍

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

「一個人・全国極上鮨の名店」2008年12月号 KKベストセラーズ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十三 「鮨あらい」

 新井祐一氏は1982年東京都に生まれ、高校卒業後に銀座「久兵衛」の門をたたく。「久兵衛」で8年あまり修業し、その後四谷「すし匠」で6年間の修業を経て、2015年10月に33歳で銀座「鮨あらい」を独立開業した.

「鮨あらい」で二番手をつとめていた渡辺健(たける)氏は「久兵衛」「かねさか」などでの修業歴があり、現在は「鮨すが弥」から「鮨龍次郎」に移り個室を担当(2020年10月現在)。

 「鮨あらい」で修行中の幸後綿衣(めい)氏は大学卒業後に「すし匠」「鮨あらい」で修業、1年間フランス留学を経験してソムリエの資格を持っている。渡辺健氏のあとの「鮨あらい」の二番手(2020年10月現在)として個室を担当。

 

(追記) 2021年4月22日

 銀座「鮨あらい」は2021年4月3日同ビル2階に新店をオープン。旧店舗(地下1階)は個室を幸後綿衣氏が担当して営業。「鮨あらい」の二番手から「鮨すが弥」「鮨龍次郎」に移動した渡辺健(たける)氏は銀座に独立開業予定。

 

 

 

 

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*参考書籍

 

dancyu」2018年8月号 プレジデント社

「鮨」食べログBOOKS 2018年 セブン&アイ出版

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十二 「匠進吾」「匠誠」「匠鮨おわな」

 

 店名に「匠」を冠した「匠進吾」「匠誠」「匠鮨おわな」の3店。

 四谷「すし匠」に16歳で入店し、18年の修業をつんだ高橋進吾氏は1978年茨城県生まれ。29歳から3年間はすしから距離をおいて、漁師や酒蔵での日本酒づくりなどを経験した。2013年に独立して青山に「匠進吾」を構えた。

 志村誠氏は四谷「すし匠」で15年近く修業し、「鮓村瀬」の立ち上げにも参加。海外のホテル勤務や日本船クルーズ客船のすし店責任者として乗船したこともある。2017年に自身の店「匠誠」を新宿にオープンした。「匠達広」「すし岩瀬」と引き継がれてきた新宿駅南口からすぐの場所。

 小穴健司氏は静岡県出身。実家がすし屋で、すし職人を目指して四谷「すし匠」で約10年の修業を重ね、2017年8月、36歳の時に「匠鮨おわな」を恵比寿にオープンし独立した。

 

 

 

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その五十一 「匠すし昴」「匠達広」

  「匠すし昴」は四谷「すし匠」で修業した松本卓氏により2002年に青山一丁目駅近くにオープン(現在「匠進吾」の場所)。2013年2月に現在の表参道の骨董通りに移転した。2019年にはリニューアルオープンし、兵庫県出身の外屋敷光宏氏が引き継ぎ、松本卓氏はハワイ「SUSHI SHO」へと移った。(現在は「SUSHI SHO」の休業に伴い「匠齋藤」にいらっしゃるとの話あり。)

 「すし昴」で修業した久保田真介氏は「鮨久保田」を2012年に博多で開業。久保田真介氏は18歳の時に「すし昴」に入店。その後、数店舗で修業した後に20歳代で開業した。

 西達広氏は金沢県に生まれ、金沢の和食店や東京都内の鮨店で修業した後に四谷「すし匠」に入る。5年ほど修業した後、2009年に新宿駅前に「匠達広」を開店して独立した。2012年には現在の新宿御苑前に移転。2017年には姉妹店「鮨ばんど」を開業し、「匠達広」で3年ほど修業して二番手だった伊山徳宗氏が任されている。

 2019年2月には「匠達広」の向かいに西達広氏自身の苗字を冠した「西」をオープン、昼の営業として始まったが、現在は15時からの夕方の営業も行っている(夜は貸し切りのみの営業)。

  

(追記)2021年1月24日

 「匠達広」が「戸越銀座鮨ばんど」を2021年1月8日にオープン。つけ場に立つのは「匠達広」で二番手をつとめ「新宿御苑鮨ばんど」をまかされていた伊山徳宗(いやまのりかず)氏。

 

 

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*参考書籍

 

dancyu」2015年1月号 プレジデント社

「寿司のこころ」 2015年 枻出版社

「美味サライ」 今行くべき口福の鮨 2019年10月 小学館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五十 「すし匠まさ」

 岡正勝氏は16才の時に銀座のコリドー街の「すし㐂(閉店)」というすし店で佐々木啓仁氏(秋田「すし匠」)と一緒に働いていた。その後、佐々木啓仁氏とともに六本木の「むらた(閉店)」というすし店で働いている時に中澤圭二氏と齋藤敏雄氏が客として来たのが中澤圭二氏との最初の出会いであった。中澤圭二氏が「すし匠さわ」を開業するにあたり、そのメンバーの一人として岡正勝氏を引き抜いた。岡正勝氏は四谷「すし匠」での修業の後、青山「海味」に2年7ヶ月の間、長野充靖氏のもとで働いた。1990年台後半のことであった。その後、自らの意思で大阪、富山、六本木などのすし店で修業し、2004年西麻布に「すし匠まさ」を開店する。

 「すし匠まさ」「すし昴」「匠達広」で修業した岩瀬健治氏は2012年、新宿に「すし岩瀬」を開業。2017年には都庁近くに移転して現在に至る。

 また、四谷「すし匠」「すし匠まさ」「匠達広」で修業し「すし岩瀬」では二番手を勤めた天木雅章氏は2015年、名古屋で「あま木」を開業した。

 前岩和則氏は和歌山県出身。「すし匠まさ」で修業し、二番手まで勤めた。その後神泉「小笹」で修行。さらに生産者を訪ねたり地方を巡り、開業前には中華の「茶禅華」で1年ほど修業し、28歳で広尾「すし良月(あきら)」を立ち上げた。屋号は御祖父様「朗」の名前に由来している。ちなみに場所は「鮨心白」の跡地。

 

 

 

 

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  • 参考書籍

「一個人」2007年1月号 KKKベストセラーズ