その四十 「千八鮨」

 築地市場が1935年に移転する前は、本船町から本小田原町一帯(現在の日本橋本町1丁目、日本橋室町1丁目あたり)に日本橋魚河岸があった。その日本橋の魚河岸で富岡の八五郎氏が1820年代に始めた「魚河岸卸富八」の七代目にあたる松下進太郎氏が日本橋本町で営んでいたのが「千八鮨」である。その昔、日本橋界隈ですし屋の若い衆で作った「ひわた会」という親睦団体の会長を務めていたのが松下進太郎氏で、「喜(㐂)寿司」の三代目油井隆一氏なども所属していたらしい(「江戸前にぎり こだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社)。

 「千八鮨」は2005年、松下進太郎氏が65歳になるにあたり閉店した。

 その「千八鮨」で修業したのが山沖新(やまおきあらた)氏で、2007年に同じ日本橋に「鮨山沖」を開業し、現在に至る。山沖新氏は人形町「六兵衛」、神田「宇廼丸」での修業歴がある。

 

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