その四十四 「鮨真」

 鈴木真太郎氏は世田谷の東松原にある「小かん鮨」でアルバイトを始め、そのまま社員として修業した。その後、都内のホテルのすし店に勤めるが、すぐに経堂の「寿矢」に移り、2年ほど修業した後の2003年に西麻布の交差点近くのビルの3階に「鮨真」を開業した。2011年には同じ西麻布だが日赤通りに店舗を移し、現在に至る。

 鈴木真太郎氏が修業した経堂「寿矢」は細野壽矢氏の店で、もともと「経堂美登利寿司寿矢」を屋号としていた。実家が1927年(昭和2年)創業の経堂「美登利寿司」であり、その「美登利寿司」は細野壽矢氏の兄にあたる四代目(三代目?)細野健氏が継承している。

 梅ヶ丘の「寿司の美登利」は、もともとは経堂「美登利寿司」から1963年に暖簾分けした店であるが、現在は(株)梅丘寿司の美登利総本店として銀座店、渋谷店、多摩川店など多店舗経営を行っており、経堂「美登利寿司」と経営的な関係はない。

 「鮨真」出身の佐藤浩二氏は北海道出身。地元の帯広のすし店で5年間ほど修業して上京、「鮨真」に弟子入りした。2年後に帯広に戻るも、ふたたび「鮨真」での修業を選び、すぐに東京に。それから5年間修業して、2018年に御成門に「冨所」を開業した。

 また「鮨すが弥」の菅谷崇之氏も「鮨真」での修業歴がある。

 その四十八 「すし浅尾」 - すしの系譜

 

 

 

(追記)2020年11月1日

 熊本「鮨仙八」の四代目にあたる中原貴志氏は、福岡の料亭や西麻布「鮨真」で修業し、2012年に先代の中原寿男氏から引き継ぐタイミングで中央区花畑町に「鮨仙八」を移転開業した。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

 

(追記)2022年3月2日、3月20日

 九州出身の濱野紘一氏は赤坂「菊之井」の出身で、熊本「鮨仙八」で6年あまり修業し、日本料理「八雲うえず」で修業の後に2022年2月15日、神楽坂で「一宇」を開業。

(「八雲うえず」の店主の上江洲直樹氏は赤坂「菊之井」の出身で、「菊之井」時代に濱野紘一氏や麻布十番「鮨みうら」の三浦健太氏と一緒に修業した。ちなみに神楽坂にある割烹、石川グループの「愚直に」の店主大塚将人氏も、同時期に赤坂「菊之井」で修業した一人。)

 

 







 

 

  • 参考書籍

 

東京生活別冊「東京のすし通になれる本」 2006年 枻出版社

「一個人」2007年1月号 KKKベストセラーズ

dancyu」2007年4月号 プレジデント社

dancyu」2018年8月号 プレジデント社