2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

その二十三 「鶴八」

師岡幸夫氏は1930年に東京神田紺屋町ですし職人の息子として生まれ、19歳で柳橋「美家古鮨本店」で握りの神様と称された加藤博章氏のもとで修業し、1959年に神田「鶴八」として独立した。師岡幸夫氏の弟子の田島道弘氏は、神田「鶴八」で修業し、一度は栃木…

その二十二 「美家古鮨本店」

「弁天山美家古寿司」で修業した加藤博章氏が第二次世界大戦前に柳橋に開業。加藤博章氏が徴兵されたために店を閉めるが、戦後に復員した後に出前専門の形で再開し、その後1950年に「美家古鮨本店」として店舗を構えた。その頃の経緯は「神田鶴八鮨ばなし」…

その二十一 「弁天山美家古寿司」

「與兵衛鮨」の流れを汲むとされる千住「みやこ」が創業したのが1848年頃。千住「みやこ」はすでに閉店しているが、「みやこ」で修業した伊藤久助氏が1866年に創業したとされるのが浅草「弁天山みやこ寿司」である。二代目が内田金七氏とされる。(「弁天山…

その二十 「すし処宮葉」

「すし処宮葉」の宮葉幹男氏は「與兵衛鮨」の流れを汲むとされる江戸時代よりすし屋を営む老舗(詳細は不明)に生まれ、京橋「幸鮨」の七代目の元で修業をした。「幸鮨」の八代目となるが「幸鮨」は閉店。その後、全国各地の名店で修業し、1989年に浜松町に…

その十九 「道玄坂亀寿司」

もう一人「與兵衛鮨」の流れを汲むのが四代目小泉喜太郎の弟子、青島熊一氏である。明治43年(1910年)生まれで「與兵衛鮨」が閉店する直前の大正12年(1923年)から「與兵衛鮨」で修業した。その後「道玄坂亀寿司(鮨)」を開店したが、現在には至らず。 そ…

その十八 「㐂寿司」

「與兵衛鮨」四代目小泉喜太郎の弟子にあたるのが、明治の終わり頃、柳橋の薬研堀に「㐂寿司」を創業した油井㐂太郎氏である。(油井㐂太郎氏は「與兵衛鮨」の支店、馬喰町「すし忠」で修業したとの話あり。)1923年に息子の油井貫一氏が人形町に店を出して…