2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

その十七 「吉野鮨本店」

「與兵衛鮨」三代目小泉菊太郎の弟子で四代目小泉喜太郎の兄弟弟子にあたるのが「吉野鮨本店」の初代吉野政吉氏で1879年に日本橋「吉野鮨」を創業した。二代目は吉野正三郎氏で、その時の「吉野鮨」がトロの握りの発祥と言われている。 「鮓・鮨・すし―すし…

その十六 「與兵衛鮨」

江戸前ずしの発祥については多くの書籍に記載されているためここでは触れないが、「與兵衛鮨」の初代華屋與兵衛(花屋與兵衛が正しいとの説あり)が江戸前ずしの成立に少なからず関与していたことに違いはない。その「與兵衛鮨」は1810年頃、両国に始まり、…

その十五 「鮨青木」

「鮨青木」の初代、青木義(よし)氏は「奈可田(なか田)」の出身で、「なか田」修業後の1972年に京都木屋町「なか田」の主人となる。東京へ戻り、麹町に「鮨青木」として店を開いたのが1986年、そして銀座に戻ってきたのが1992年のことであった。銀座に店…

その十四 「奈可久」

銀座「なか田」の初代中田一男氏に師事し「なか田」で修業した鈴木隆久氏が六本木に店を開いたのは1979年、26歳の時のこと。最初はテレ朝通りに面したビルの2階であった。外苑東通り沿いに移転して現在に至る。 弟子には銀座「奈可久」(閉店)の齊藤信雄氏…

その十三 「奈可田」

二葉鮨四天王の一人、中田一男氏は1950年に銀座に店を構え、途中、移転とともに「なか田」から「奈可田」と店名を変更。カウンターの氷柱は有名。中田一男氏の没後はご子息が店舗を引き継ぐが、2015年に銀座店を閉店し、現在は帝国ホテル内に「江戸前鮨なか…

その十二 「おけい寿司」「源」

二葉鮨四天王の一人、新家(にいのみ)安蔵氏は初代「御慶ずし」の親方として銀座で開店し、そののち八重洲に移転する。二代目はその「おけい寿司」に16歳の時に弟子入りした村瀬泰行氏、現在は三代目の滝口眞人氏に継承。 二葉鮨四天王のもう一人、岡田源四…

その十一 「すゞ木」「山路」「喜久好」

生涯自分の店を持たなかった藤本繁蔵氏には長続きする弟子がいなかったそうだが、その中でも関わりの深かったのが鈴木民部氏であろう。「ほり川」「すし春」などで修業歴のある鈴木民部氏は藤本繁蔵氏のもとで修業し、1978年に板橋区南町(最寄り駅は要町)…

その十 「きよ田」

二葉鮨四天王の一人、藤本繁蔵氏は「すしの天皇」「すしの神様」などと呼ばれる伝説のすし職人である。1902年茅場町に生まれ、10代ですし屋に修業に入る。1924年、22歳の時に「二葉鮨」に入り、48歳で「なか田」、51歳で「すし春」、59歳で「にし木」、61歳…