その十一 「すゞ木」「山路」「喜久好」

 生涯自分の店を持たなかった藤本繁蔵氏には長続きする弟子がいなかったそうだが、その中でも関わりの深かったのが鈴木民部氏であろう。「ほり川」「すし春」などで修業歴のある鈴木民部氏は藤本繁蔵氏のもとで修業し、1978年に板橋区南町(最寄り駅は要町)に「すゞ木」として独立した。その店は2012年に閉じている。

 館野弘光氏は上野「松山鮨」で修業を始め、京橋「初音鮨」などを経て藤本繁蔵氏と出会い、その後「山路」を開店したが、2012年に閉店となっている。

 清水喜久男氏は、最初は浦和のすし店に入り、その後、銀座の「勘八」に入店して親方の飯沼春吉氏に学ぶ。当時六本木にあった「きよ田」に誘われ、そこで藤本繁蔵氏と出会う。清水喜久男氏は藤本繁蔵氏の最後の弟子とも言われている。3年間、中野の「すし処竹葉」を任され、その後、1971年に赤坂に自身の店「喜久好」として独立、途中店舗を移動するが、40年以上にわたり赤坂の地で店を続け2012年に引退した。

 藤本繁蔵氏のもとで「きよ田」で修業した井上正典氏は大阪なんばで「大喜」を開業し、井上正典氏の長男が「北新地大喜」の店長として独立している。

 六本木「山路」の館野弘光氏の弟子である畠山義友氏は岩手県盛岡で「山路」として暖簾分け、37年間盛岡で店を続けてきた。2016年に再び東京に戻り「麻布山路」を開店したが、現在は閉店している。

(畠山義友氏の長男畠山正義氏が札幌「すし善」などで修業の後、2017年12月、新潟に「鮨はたけやま」を開業。次男畠山義春氏は新橋の割烹「山路」を営み、「麻布山路」閉店後に畠山義友氏が在籍していたことあり。)

 また、「鮨くわ野」の桑野達也氏は赤坂「希扇」(閉店)に勤めながら、清水喜久男氏や鈴木民部氏に出稽古で技術を習得したとのこと。

 

 

 

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  • 参考書籍、他

 

江戸前鮨 伝統の技と真髄」清水喜久男著 2011年 講談社

dancyu」1993年5月号 プレジデント社

dancyu」2007年4月号 プレジデント社

「究極の鮨(すし)〜職人・藤本繁蔵の世界〜:NHKドキュメンタリー」

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋

「東京のすし通になれる本」東京生活別冊 2006年 枻出版社

「味の手帖」2019年7月号 株式会社味の手帖