その十 「きよ田」

 二葉鮨四天王の一人、藤本繁蔵氏は「すしの天皇」「すしの神様」などと呼ばれる伝説のすし職人である。1902年茅場町に生まれ、10代ですし屋に修業に入る。1924年、22歳の時に「二葉鮨」に入り、48歳で「なか田」、51歳で「すし春」、59歳で「にし木」、61歳で「きよ田」と、最後まで自分の店を持つことはなかった「究極の鮨(すし)〜職人・藤本繁蔵の世界〜:NHKドキュメンタリー」。最初「きよ田」は六本木にあり、その初代主人として活躍した。その当時の藤本繁蔵氏と関わりが深いのが、要町「すゞ木」(閉店)の鈴木民部氏、六本木(西麻布)「山路」(閉店)の館野弘光氏、赤坂「喜久好」(閉店)の清水喜久男氏である。

 「きよ田」は二代目の新津武昭氏に引き継がれる。新津武昭氏の引退にともない閉店となるが、三代目として木村正氏(柏の「福鮨」出身)が再開し、現在は四代目吉沢範彦氏とともに「きよ田」の看板を守る。

 (新津武昭氏について:その二十七 「あら輝」 - すしの系譜

 

(追記)2021年2月16日

 「きよ田(当時は「すし処きよ田」)が六本木に開業したのは1963年で初代の親方が藤本繁蔵氏であり、同年に清水喜久男氏が入店して弟子として修業した。その頃の「きよ田」には藤本繁蔵氏、清水喜久男氏、井上正典氏、新津武昭氏、小林氏(詳細不明)がいたとのこと。

 その後「きよ田」は東銀座・昭和通り沿いの銀座7丁目に移転する。おそらく1964年頃と思われる。1965年には清水喜久男氏が「きよ田」から中野の「すし処竹葉」に移った。少なくとも1966年頃に新津武昭氏が店主として「きよ田」の二代目となったと思われる。その後、1968年11月4日に現在の地、銀座6丁目に移った。2000年12月28日、新津武昭氏が店を辞め、閉店となった。その後、2001年に木村正氏が三代目として再開したのは前述の通り。

 

 

(追記)2020年4月5日

「きよ田」の三代目木村正氏は、2019年から「きよ田 離れ」で握っている。

 (当ブログの閲覧者様から情報をご提供いただきました。)

 

 

 

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  • 参考書籍、他

 

江戸前鮨 伝統の技と真髄」清水喜久男著 2011年 講談社

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

「究極の鮨(すし)〜職人・藤本繁蔵の世界〜:NHKドキュメンタリー」

「日本一江戸前鮨がわかる本」早川光著 2009年 文藝春秋

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋