その五十七 「金多楼寿司」

 神田須田町にある「金多楼寿司」は創業が1929年(昭和4年)で、当代三代目にあたるのが藤田武氏。

 その初代の下で修業したのが野口四郎氏である。神田「金多楼寿司」の初代が本手返しを使っていたので、野口四郎氏は今でも本手返しを使う。

番外編その二 「すしの握り方」 ③本手返し - すしの系譜

「金多楼寿司」で数年修業し、和食店に勤めた後の1970年、三宿に「金多楼」を創業した。二代目の長男野口剛氏は18歳で愛知県の料亭に修業に行き、20歳の時から父の四郎氏とともにすしを握っている。

 ちなみに浅草に1924年大正13年)に創業し、東京、千葉、茨城に店舗を持つ「金太楼鮨」との関連はない。

 

 

f:id:karasumiblog:20201109201952j:plain