その七 「与志乃」

 銀座御三家と称されているのが「久兵衛」「与志乃」「奈可田」。今回はその「与志乃」の系譜をたどる。「与志乃」の初代・吉野末吉氏は名人と謳われ、「すきやばし次郎」の小野二郎氏、「鮨水谷」(閉店)の水谷八郎氏、「鮨松波」の松波順一郎氏など多くの弟子を輩出した。

 吉野末吉氏は中野坂上の「中乃見家」(閉店)で修業して1942年に京橋において開業。吉野末吉氏には二人のご子息がいて、長男の欣也氏は50代で逝去され、次男の浩司氏が店を継いだ。浩司氏が二代目と言われているが、長男欣也氏のあとの三代目とも言える。その「与志乃」も残念ながらお店をたたむに至る。

 中野にある「鮨与志乃」は吉野末吉氏の弟子にあたる石塚信一氏が「京橋与志乃」の閉店に際して中野坂上に移転した店である。石塚信一氏は1948年に「与志乃本店」に入店して修業され、その後「与志乃銀座店」の支店長などを勤めて1954年に中野坂上に「おかめ寿司」を開店して独立。6年間の中野での経験の後に京橋に戻り「京橋与志乃」の主人として活躍され、土地開発にともない中野に戻られた。その経緯については中野「鮨与志乃」のホームページに詳しい。

 

(追記)2021年4月7日

 山口県周南市(徳山)で大正末に創業した老舗「金星(きんせい)」の四代目にあたる冨田彰房氏は「鮨松波」での修業歴がある。実家の「金星」に戻っていたが、2020年12月22日に青山「鮨あき」をオープンした。握りは本手返し。

番外編その二 「すしの握り方」 ③本手返し - すしの系譜

 

 

 





 





  • 参考書籍

 

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋