その九 「二葉鮨」

 銀座木挽町の「二葉鮨」は1977年(明治10年)の創業で、銀座に現存する最も古い江戸前ずしの店と思われる。昭和の初め頃、二代目小西力蔵氏の時に「二葉鮨」は「二葉会」という職人の派遣組織を運営していた(「究極の鮨(すし)〜職人・藤本繁蔵の世界〜:NHKドキュメンタリー」。その中でも夙に有名なのが二葉鮨四天王と称される藤本繁蔵氏、中田一男氏、新家安蔵氏、岡田源四郎氏である。その他にも「二葉会」には宇田川五郎氏、小貝時蔵氏、綾部重雄氏などの名職人が名を連ねていた。

 

藤本繁蔵氏 その十 「きよ田」 - すしの系譜

中田一男氏 その十三 「奈可田」 - すしの系譜

新家安蔵氏、岡田源四郎氏 その十二 「おけい寿司」「源」 - すしの系譜

 

 宇田川五郎氏は店をもたない流れ職人で、銀座「すし春」、八重洲「おけい寿司」、「なか田」などを手伝ったこともあると言う。また、小貝時蔵氏は銀座「鞠鮨」など、綾部重雄氏は東十条「千成鮨」などで働いていた。

 「二葉鮨」は五代目の小西亜紀央氏が継いで現在に至る。なお「二葉鮨平河町本店」の初代久保田稔氏は「二葉鮨」と姻戚関係にあるとのこと。

 

 

 

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  • 参考書籍、他

 

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋

「日本一江戸前鮨がわかる本」早川光著 2009年 文藝春秋

「究極の鮨(すし)〜職人・藤本繁蔵の世界〜:NHKドキュメンタリー」

江戸前にぎりこだわり日記」川路明著 1993年 朝日出版社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その八 「すきやばし次郎」

 「与志乃」の吉野末吉氏の弟子、「すきやばし次郎」の小野二郎氏は割烹料理屋での修業を経て1951年26歳の時にすし職人として「与志乃」に入る。「与志乃銀座店」の店舗を引き継ぐ形で独立したのが1965年。

 小野二郎氏の長男小野禎一氏は銀座「すきやばし次郎」で父を手伝い、次男小野隆士氏は「すきやばし次郎六本木店」を開店する。なお、小野二郎氏には店名に「すきやばし次郎」を名乗る5人の弟子がいる(「日本一の鮨を握る男〜すきやばし次郎の365日〜:フジテレビ」)。横浜店の水谷八郎氏、日本橋高島屋店の河端進氏、豊洲店の佐藤大三郎氏、鷺宮店の広岡武氏、そして浜松店の井熊信夫氏である。鷺宮店と浜松店は閉店されたのであろうか、現在、情報がない。

 水谷八郎氏は2005年から新橋で「鮨水谷」の主人として活躍されていたが2016年に閉店。「すきやばし次郎」出身としては、「青空(はるたか)」の高橋青空氏、「ます田」(閉店)の増田励氏などが活躍されている。

 

(追記)2020年6月2日

 「すきやばし次郎」で10年ほど修業した岡﨑亮氏が表参道に「鮨あお」を2020年6月5日にオープン。岡﨑亮氏は現在34歳。23歳で「すきやばし次郎」に入る。

 

(追記)2020年8月28日

 「鮨ます田」で修業し、フォーシーズンズホテル京都の「鮨和魂」の料理長だった山口将司氏が青山に「鮨将司(まさし)」を2020年6月2日に独立開業。

 

(追記)2021年7月21日

 銀座「青空」で修業した三井祥氏を握り手として迎え、西麻布に「鮨祥」が2021年7月26日開業予定。経営は久保豪氏が代表取締役を務める株式会社豪龍会。

 

(追記)2021年10月12日

 銀座「青空(はるたか)」の開店当初より修業してきた栗田寿之氏がつけ場に立つ「こはる」が2021年10月18日にオープン。場所は旧「青空」。

 

(追記)2022年1月19日

2019年に閉店した青山「ます田」の増田励氏が2022年1月下旬、表参道近くの南青山3丁目のビル1階に「鮨ます田」をオープン予定とのこと。

 

(追記)

 2023年6月21日武藤啓司氏は、銀座の割烹「智映(閉業)」に在籍し、すし部門を担当していたが、その後「鮨あお」に移転、2023年6月10日に日本橋に「鮨むとう」を開業した。

 

 

 

















 

 

  • 参考書籍、他

 

「鮨を極める」早瀬圭一著 2003年 講談社

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋

「日本一江戸前鮨がわかる本」早川光著 2009年 文藝春秋

「日本一の鮨を握る男〜すきやばし次郎の365日〜 フジテレビ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その七 「与志乃」

 銀座御三家と称されているのが「久兵衛」「与志乃」「奈可田」。今回はその「与志乃」の系譜をたどる。「与志乃」の初代・吉野末吉氏は名人と謳われ、「すきやばし次郎」の小野二郎氏、「鮨水谷」(閉店)の水谷八郎氏、「鮨松波」の松波順一郎氏など多くの弟子を輩出した。

 吉野末吉氏は中野坂上の「中乃見家」(閉店)で修業して1942年に京橋において開業。吉野末吉氏には二人のご子息がいて、長男の欣也氏は50代で逝去され、次男の浩司氏が店を継いだ。浩司氏が二代目と言われているが、長男欣也氏のあとの三代目とも言える。その「与志乃」も残念ながらお店をたたむに至る。

 中野にある「鮨与志乃」は吉野末吉氏の弟子にあたる石塚信一氏が「京橋与志乃」の閉店に際して中野坂上に移転した店である。石塚信一氏は1948年に「与志乃本店」に入店して修業され、その後「与志乃銀座店」の支店長などを勤めて1954年に中野坂上に「おかめ寿司」を開店して独立。6年間の中野での経験の後に京橋に戻り「京橋与志乃」の主人として活躍され、土地開発にともない中野に戻られた。その経緯については中野「鮨与志乃」のホームページに詳しい。

 

(追記)2021年4月7日

 山口県周南市(徳山)で大正末に創業した老舗「金星(きんせい)」の四代目にあたる冨田彰房氏は「鮨松波」での修業歴がある。実家の「金星」に戻っていたが、2020年12月22日に青山「鮨あき」をオープンした。握りは本手返し。

番外編その二 「すしの握り方」 ③本手返し - すしの系譜

 

 

 





 





  • 参考書籍

 

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋

 

 

 

 

 

その六 「鮨みつ川」「鮨とかみ」

 金沢は北陸新幹線の開通などにより観光客も多く訪れており、他県出身者によるすし店の新規開業も多いが「小松弥助」の森田一夫氏などの老舗の職人も健在。

 「久兵衛」出身の職人は全国でも活躍されており、金沢の「鮨みつ川」の光川浩司氏も「久兵衛」出身。「久兵衛」で修業をしたあとドイツのデュッセルドルフ日本食レストラン「KIKAKU」を経て2005年に片町に独立し、2010年には東茶屋街に移転した。系列として2014年4月に近江町市場に「鮨歴々近江町店」、2014年8月に「鮨歴々百番街店」を出店。金沢の「鮨みつ川」を弟子の生田崇氏にあずけ、2018年11月に「鮨みつ川六本木ヒルズ店」を開店して光川浩司氏が東京に戻り、現在に至る。

 渋谷「秋月」で修業した佐藤博之氏が築地の仲卸「やま幸(やまゆき)」経営の「鮨とかみ」を任されたのが2013年3月。佐藤博之氏は2018年2月に「はっこく」を開店して独立、「鮨とかみ」は小田将太氏が引き継ぐ。「きざ㐂」の木崎倫氏は「鮨とかみ」の出身。

 「銀座くろ寿」の黒須法明氏は「久兵衛(大阪店)」や乃木坂「神谷」(割烹・閉店)などで修業した後に「GINZA凜」で活躍された後に独立。「GINZA凜」は「GINZA凜にしむら」として場所を移して西村英典氏が引き継いでいる。「銀座くろ寿」の出身としては「鮨心白」の石田大樹氏がいる。

 

(追記)2020年3月9日

 「久兵衛」「鮨とかみ」で修業した太田雄斗氏は名古屋で「寿し道桜田」を、「久兵衛」で修業した酒井清志氏が銀座「鮨きよし」を2019年に開業した。

 

(追記)2020年6月9日

  広尾の商業施設「EAT PLAY WORKS」が2020年7月20日に新規開業。レストランフロアの1階に、銀座「はっこく」の新店舗「寿志團(すしだん)」が入る。料理長は荒川岳大氏。

 

(追記)2020年9月23日

 銀座「はっこく」にいた鮨職人歴21年目の佐々木強氏が、2020年9月1日世田谷区下馬に「鮨うがつ」をオープン。

 

(追記)2020年10月24日

  金沢「亀鮨」(閉店)で修業し、金沢「鮨歴々近江町店」から「鮨みつ川」の二代目をつとめた生田崇氏が、2020年9月10日に金沢片町「鮨いくた」をオープン。

 

(追記)2020年11月23日

  2020年11月現在、金沢「鮨みつ川」は1ヶ月に1度、1週間程度光川浩司氏が六本木店から金沢本店に移動して店を開けているとのこと。

 

(追記)2021年7月9日

 2021年6月恵比寿に「鮨とかみ」「鮨竜介」などで修業した志村大和氏が店主となる「大六」がオープン。

(追記)2021年8月6日

 2021年8月3日現在「大六」は休業中で、大将を含めて新規スタッフを募集中とのこと。

(追記)2021年9月19日

 2021年9月より屋号を「鮨大六」として新規スタッフで再開とのこと。

 

(追記)2022年3月2日

 銀座「はっこく」の2番手だった齋藤淳氏が麻布十番駅近くの「オークウッドホテル&アパートメンツ麻布」1階に、2022年3月2日に「東麻布さいこう」をオープン。

 

(追記)2022年3月18日

 銀座「鮨とかみ」の小田将太氏は3月で店をはなれ、和田駿友氏が引き継ぐ。

 

(追記)2022年10月4日

 広尾の商業施設「EAT PLAY WORKS」に入っていた「寿志團」は2022年6月30日に一時休業。その後、2022年10月より営業再開した。

 

(追記)2022年10月8日

 「西麻布拓」の店長を任されていた石阪健二氏が2022年7月28日、「広尾石阪」を独立開業。

 

 

 

 

 











 

 

 













 

 

 

  • 参考書籍

 

東京生活別冊「東京のすし通になれる本」 2006年 枻出版社

dancyu」2006年1月号 プレジデント社

dancyu」2010年1月号 プレジデント社

dancyu」2015年1月号 プレジデント社

「寿司のこころ」 2015年 枻出版社

「寿司を極める。」 2018年 宝島社

「寿司Complete」 2019年 枻出版社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その五 「鮨さいとう」

 金坂真次氏の後輩の一人、齋藤孝司氏は1991年から「久兵衛」で修業を始めるが「久兵衛」での修業後はすしの世界から離れた時期もあった。金坂真次氏が2000年4月に銀座「鮨かねさか本店」を開業するのに合流、2004年に「鮨かねさか」の分店「鮨かねさか赤坂店」を任され、2007年に「鮨さいとう」と店名を改める。そして2014年1月に六本木一丁目に場所を移して現在に至る。

(株)LDH JAPANと組んでプロデュースしたのが「鮨つぼみ」で、「鮨さいとう」で修業し、クアラルンプールの「Taka by Sushi Saito」を任されていた丸山真琴氏が仕切る。

「鮨さいとう」で修業歴がある職人としては「鮨たかはし」の高橋潤氏、「代官山鮨たけうち」の竹内準氏、「恵比寿えんどう」の遠藤記史氏など。

 

(追記)2020年4月14日

 「鮨さいとう」の二番手橋場俊治氏が、2020年4月1日に「鮨しゅんじ」を「鮨さいとう」の隣にオープン。

 

 (追記)2020年7月24日

 LDHグループ(https://www.ldh.co.jp/kitchen/)が中目黒に「鮨さいとう」とアートギャラリーの「NANZUKA」をコラボレーションしてギャラリーを併設した「3110NZ by LDH Kitchen」を出店。オープンは2020年7月21日。香港「鮨さいとう」出身の小林郁哉氏が店主を務める。

  

 

 

 

 

 











 



 

 

  • 参考書籍

 

「寿司のこころ」 2015年 枻出版社

dancyu」 2017年1月号 プレジデント社

 

 

 

 

 

 

 

 

その四 「鮨かねさか」

久兵衛」出身者の一人、金坂真次氏が率いるいわゆる「かねさかグループ」に所属する職人は多く「かねさか」出身者の新規独立・開店も多数。グループとしては「鮨かねさか本店」の他に「鮨かねさかパレスホテル東京店」、「すし家」、「鮨こじま」(閉店)、「鮨一新」、「鮨一柳」などがあり、海外にも店舗を展開している。ホテル西洋銀座に入っていた「真魚」はホテルの閉館にともない閉店(移転)して「鮨一柳」となる。「鮨こじま」の閉店した場所には「すし家」が移転した。

 岩央泰氏の「鮨いわ」は2008年6月に開店し、2012年9月には「小十」のあった場所に「いわ」として移転、さらに「銀座いわ別館」が閉店し、その場所に「銀座いわ」として移転している。

 「鮨かねさか」出身者としては、他に「鮨ふじ田」の藤田真一郎氏、「鮨まつもと」の松本瑞穂氏がいる。「すし家」の一番手だった石山孝雄氏は「鮨いしやま」として独立、「真魚(西洋銀座)」(閉店)や「いわ別館」(閉店)で修業した月生田光彦氏は中目黒に「鮨つきうだ」として独立した。

 

(追記)2019年12月3日

 麻布十番に「すし家 祥太」が2019年11月開店。店をまかされたのが赤坂「鮨 一新」の二番手だった翔太氏とのこと。

 

(追記)2020年2月11日

「鮨 こじま」は閉店後、2019年11月に銀座に移転オープンした。

 

 (追記)2020年6月24日

 南青山三丁目交差点の「青山ベルコモンズ」の跡地に、オフィス・商業施設・ホテルを含む「ジ・アーガイルアオヤマ」が開業。その「青山グランドホテル」内に「青山鮨かねさか」がオープン予定。

(追記)2020年8月14日

2020年8月5日に「青山グランドホテル」が開業し、同日より「青山鮨かねさか」がオープン。

 

(追記)2020年7月11日

 平河町のザ・ホテルキタノ東京に2020年7月3日「すしおうみ」がオープン。銀座「鮨かねさか」で修業をつんだ「三平さん(愛称)」こと近江英之介氏が提供する。

 

(追記)2021年5月22日

「鮨おにかい」の姉妹店、「鮨おにかい+1(たすいち)」が中目黒に2020年12月1日にオープン、「鮨うらおにかい」が八丁堀に2021年5月19日オープン。

 

(追記)2022年4月3日

 「銀座いわ」で修業した岡部巌氏は、赤坂「おあしす碧赤坂店」でつけ場に立ち、同店を2022年4月1日「すしいわお」としてリニューアルオープン。

 

(追記)2022年10月9日

 「銀座久兵衛」で修業し、シンガポールの「Shinji by Kanesaka」にいた深澤恵介氏が、2022年4月に「銀座ふかさわ」をオープン。

 

(追記)2022年10月9日

 以前、そば処「永田町黒澤」だった場所に、2022年7月13日「永田町・鮨かねさか」が開業。店長は「銀座かねさか」で修業の後、2014年からマカオのCITY of DREAM CROWNホテルに務めていた大隅達氏。

 

(追記)2023年1月9日

 「銀座久兵衛」「鮨かねさか」などで修業した手塚由裕氏が2022年11月1日、「銀座鮨佑」を開業。

 

(追記)(追記)2023年1月9日

 「鮨かねさか」出身の矢作直徳氏の「神楽坂鮨りん」(2013年2月26日開業)と、「神楽坂鮨りん」で修業して2022年10月3日にオープンした篠原光一氏の「赤坂鮨しの」を追加。

 

(追記)2023年9月17日

 かねさかグループの銀座「すし家」の橋本守氏は、2023年6月15日、銀座「鮨守」を独立オープン。

 

 

 







































 

 

 

その三 「久兵衛」

 「久兵衛」が開店したのは1935年(昭和10年)、今田壽治氏が26歳の時。今田壽治氏が秋田から上京して弟子入りしたのは昭和元年16歳の時、前述の木挽町「美寿志」であった。10年の修業を経て銀座8丁目に独立する。開店にあたっては浅野総一郎氏の支援を受け、「天一」の主人矢吹勇雄氏が場所を探して店舗の設計を行ったとされる。

 「久兵衛」という店名は壽治(ひさじ)という本名の「ひさ」が「久」に通じて小僧のころから「久兵衛」と呼ばれていたので、それをそのまま店名にしたとのこと(「くいしん坊の雑誌 食食食:久兵衛聞き書き」)。「久兵衛」の二代目今田洋輔氏の時、銀座の店舗をビルとして立て替え、今は三代目今田景久氏が後を継ぐ。今田壽治氏と親交のあった北大路魯山人氏のミニギャラリーが店舗4階にある。

 80年以上の歴史の中で「久兵衛」はすし職人を多数輩出している。「鮨かねさか本店」の金坂真次氏、「鮨かねみつ」の兼光隆氏、「兼定」の中村三男氏、「鮨久いち」の出口威知郎氏、「寿し処寿々」の藤居陽一郎氏、「鮨竜介」の山根竜介氏、「すし縁」の遠藤尚人氏、「西麻布 拓」の佐藤卓也氏、「すし佐竹」の佐竹大氏、神楽坂「鮨心」の大場勉氏、西大島「與兵衛」の鈴木信夫氏、「西麻布鮨葵」の吉村淳氏、渋谷「秋月」の秦英樹氏など。さらに孫弟子、ひ孫弟子とその系譜は続いており、「Q系」と呼ばれているらしい。修行内容や修行期間など「久兵衛」との関わり方は様々であるが「久兵衛」の遺伝子を受け継いでいることに変わりはない。

 

(追記)2020年3月9日

 「西麻布鮨葵」は閉店し、同じ場所に西麻布「鮨ふくじゅ」(銀座「鮨ふくじゅ」が出店)が2020年2月オープン。板長は同じ吉村淳(じゅん)氏。

 

(追記)2020年3月10日

 「すし佐竹」は2020年2月に閉店した。

 

(追記) 2021年5月4日

  2020年2月に閉店した「すし佐竹」が、2021年5月27日「佐たけ」として銀座に再オープン。

 

(追記)2021年11月7日

 「銀座久兵衛」で修業し、「鮨おにかい」で大将を務めていた望月将氏が独立して2021年10月18日に新橋に「鮨神楽」を開店。

 

 

 

 

 

 

 

 

 














 



 

 



 

  • 参考書籍

 

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋

「くいしん坊の雑誌 食食食(No.19-21)」1979-80年 みき書房

東京生活別冊「東京のすし通になれる本」 2006年 枻出版社

dancyu」2010年1月号 プレジデント社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その二 「寿司幸」

 「寿司幸」は杉山幸二郎氏が1885年(明治18年)柴井町(現在の新橋5丁目付近)に創業したが、二代目杉山宗吉氏の時に空襲により焼失したため現在の地に移転した(「銀座のすし 山田五郎著」)。杉山宗吉氏は「美寿志」で修業した一人。

 「美寿志」出身者としては、鮪で有名な「日本橋寿司金」の鈴木守氏がいるが、すでに閉店。弟子の秋山弘氏が四谷の荒木町に「日本橋寿司金」として引き継ぐ。

 「寿司幸本店」は現在四代目杉山衛氏が継承している。多くの職人をかかえ寿司の普及にも尽力され「寿司幸」の支店や「寿司幸」の名前で暖簾分けしている。また「寿司幸」出身者としては銀座「寿司ひら田」の平田哲幹氏、浅草「すし游」の岡林睦生氏、西荻窪「鮨たなか」の田中宏昌氏、白金台「鮨岡部」の岡部嘉一郎氏などがいる。「鮨てる」の宮崎智弘氏や「鮓職人秦野よしき」の秦野芳樹氏は「寿司幸」の孫弟子にあたる。

 

(追記) 2021年5月6日

 「神楽坂寿司幸」の山田庸二氏は15才の時に銀座「寿司幸本店」に入った。先々代の杉山宗吉氏のもとで13年間修業して1968年に「神楽坂寿司幸」として独立。その後、1987年に同じ神楽坂で移転、2018年12月に50年にわたる店を閉じた。

 

(追記) 2021年9月14日

 「寿司幸」で修業した住本圭司氏の松山「すみもと」、樋口芳正氏の大阪にある「鮨樋口」を系譜図に追加しました。

 

(追記)2022年1月19日

 2022年1月14日、「麻布十番秦野よしき」の秦野芳樹氏が隣のビルに「立喰鮨となり」をオープン。LINE予約、60分制、キャッシュレス。

 

(追記)2022年5月14日

 実家の寿司店で修業後に六本木、銀座、日本橋寿司店で修業し、浅草「すし游」で6年間修業して地元に戻った久保崇嘉氏の長野「すし崇(すしたか)」を系譜図に追加しました。

 

(追記)2022年10月8日

 「麻布十番秦野よしき」で6年修業し、二番手を務めていた荒木悟氏が2022年7月3日、恵比寿「すしさとる」をオープン。

 

 

 

 



 






 

  • 参考書籍

「銀座のすし」山田五郎著 文春文庫 2013年 文藝春秋

dancyu」 2007年4月号 プレジデント社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一 「美寿志」

 「美寿志(みすじ)」が木挽町に開店したのは1855年(文政2年)。「美寿志」については資料や情報が乏しいが「寿司幸本店」の二代目杉山宗吉氏、銀座「久兵衛」の初代今田壽治氏、「日本橋寿司金」の鈴木守氏が修業した伝説の店である。

 杉山宗吉氏の「すしの思い出」という書籍には「美寿志」での修業の様子が書かれており、その一部が「すし技術教科書・江戸前ずし編」に転載されている。杉山宗吉氏は11歳の時から生家のすし店「寿司幸」の手伝いをして、12歳の時に木挽町「美寿志」に修業奉公(明治38年頃から大正初期にかけて)に出た。当時の「美寿志」は出前とみやげのすしが専門で、親方とその父親である大親方に厳しく教えられたことなどが書かれている。「美寿志」は第二次世界大戦後に四谷に移転して営業していたらしいが、いつの頃か閉店となった。

 その後いろいろな経緯があるようだが、その名前は汐留の「美寿思」として引き継がれている。

 

 

 

 







 

  • 参考書籍

「すしの思い出」杉山宗吉著 1968年 養徳社

「すし技術教科書・江戸前ずし編」全国すし商環境衛生同業組合連合会 監修 佳藤木一整 1975年 旭屋出版

「美寿思」新橋経済新聞 2011年5月18日版(インターネット)

 

 

 江戸前ずしの店は古くから続く老舗も多く、暖簾分けや独立などにより職人を通して家系図のごとく関わり合っている。名店で修業して伝統の技を継承するとともに新しい江戸前ずしの仕事を追求しながら、その系譜は綿々と続いている。その江戸前ずしの系譜を個人の備忘録として残したいと思う。

 

  • 正確な情報の記載を心がけていますが、個人で情報を収集しており、聞き取りや書物による情報のほか、インターネットによる二次情報・三次情報も含まれているため、正確な情報ではない可能性があります。
  • 名称・氏名など、間違いがありましたらたいへん申し訳ございません。