その十二 「おけい寿司」「源」

二葉鮨四天王の一人、新家(にいのみ)安蔵氏は初代「御慶ずし」の親方として銀座で開店し、そののち八重洲に移転する。二代目はその「おけい寿司」に16歳の時に弟子入りした村瀬泰行氏、現在は三代目の滝口眞人氏に継承。 二葉鮨四天王のもう一人、岡田源四…

その十一 「すゞ木」「山路」「喜久好」

生涯自分の店を持たなかった藤本繁蔵氏には長続きする弟子がいなかったそうだが、その中でも関わりの深かったのが鈴木民部氏であろう。「ほり川」「すし春」などで修業歴のある鈴木民部氏は藤本繁蔵氏のもとで修業し、1978年に板橋区南町(最寄り駅は要町)…

その十 「きよ田」

二葉鮨四天王の一人、藤本繁蔵氏は「すしの天皇」「すしの神様」などと呼ばれる伝説のすし職人である。1902年茅場町に生まれ、10代ですし屋に修業に入る。1924年、22歳の時に「二葉鮨」に入り、48歳で「なか田」、51歳で「すし春」、59歳で「にし木」、61歳…

その九 「二葉鮨」

銀座木挽町の「二葉鮨」は1977年(明治10年)の創業で、銀座に現存する最も古い江戸前ずしの店と思われる。昭和の初め頃、二代目小西力蔵氏の時に「二葉鮨」は「二葉会」という職人の派遣組織を運営していた(「究極の鮨(すし)〜職人・藤本繁蔵の世界〜:N…

その八 「すきやばし次郎」

「与志乃」の吉野末吉氏の弟子、「すきやばし次郎」の小野二郎氏は割烹料理屋での修業を経て1951年26歳の時にすし職人として「与志乃」に入る。「与志乃銀座店」の店舗を引き継ぐ形で独立したのが1965年。 小野二郎氏の長男小野禎一氏は銀座「すきやばし次郎…

その七 「与志乃」

銀座御三家と称されているのが「久兵衛」「与志乃」「奈可田」。今回はその「与志乃」の系譜をたどる。「与志乃」の初代・吉野末吉氏は名人と謳われ、「すきやばし次郎」の小野二郎氏、「鮨水谷」(閉店)の水谷八郎氏、「鮨松波」の松波順一郎氏など多くの…

その六 「鮨みつ川」「鮨とかみ」

金沢は北陸新幹線の開通などにより観光客も多く訪れており、他県出身者によるすし店の新規開業も多いが「小松弥助」の森田一夫氏などの老舗の職人も健在。 「久兵衛」出身の職人は全国でも活躍されており、金沢の「鮨みつ川」の光川浩司氏も「久兵衛」出身。…

その五 「鮨さいとう」

金坂真次氏の後輩の一人、齋藤孝司氏は1991年から「久兵衛」で修業を始めるが「久兵衛」での修業後はすしの世界から離れた時期もあった。金坂真次氏が2000年4月に銀座「鮨かねさか本店」を開業するのに合流、2004年に「鮨かねさか」の分店「鮨かねさか赤坂店…

その四 「鮨かねさか」

「久兵衛」出身者の一人、金坂真次氏が率いるいわゆる「かねさかグループ」に所属する職人は多く「かねさか」出身者の新規独立・開店も多数。グループとしては「鮨かねさか本店」の他に「鮨かねさかパレスホテル東京店」、「すし家」、「鮨こじま」(閉店)…

その三 「久兵衛」

「久兵衛」が開店したのは1935年(昭和10年)、今田壽治氏が26歳の時。今田壽治氏が秋田から上京して弟子入りしたのは昭和元年16歳の時、前述の木挽町「美寿志」であった。10年の修業を経て銀座8丁目に独立する。開店にあたっては浅野総一郎氏の支援を受け、…

その二 「寿司幸」

「寿司幸」は杉山幸二郎氏が1885年(明治18年)柴井町(現在の新橋5丁目付近)に創業したが、二代目杉山宗吉氏の時に空襲により焼失したため現在の地に移転した(「銀座のすし 山田五郎著」)。杉山宗吉氏は「美寿志」で修業した一人。 「美寿志」出身者とし…

その一 「美寿志」

「美寿志(みすじ)」が木挽町に開店したのは1855年(文政2年)。「美寿志」については資料や情報が乏しいが「寿司幸本店」の二代目杉山宗吉氏、銀座「久兵衛」の初代今田壽治氏、「日本橋寿司金」の鈴木守氏が修業した伝説の店である。 杉山宗吉氏の「すし…

江戸前ずしの店は古くから続く老舗も多く、暖簾分けや独立などにより職人を通して家系図のごとく関わり合っている。名店で修業して伝統の技を継承するとともに新しい江戸前ずしの仕事を追求しながら、その系譜は綿々と続いている。その江戸前ずしの系譜を個…