2020-01-01から1年間の記事一覧

その三十三 「三谷」

四谷「三谷」の三谷康彦氏は「鮨魯山伊勢丹新宿本店」の出身。2006年に独立し、今では予約困難店の一つ。2016年には系列の「紀尾井町三谷」を出店し、現在は総店長として高野博幸氏が務める。 その「紀尾井町三谷」出身の加藤聡氏が六本木一丁目に「桜坂加と…

その三十二 「築地寿司清」

創業明治22年(1889年)の「築地寿司清」は「築地寿司清築地本店」を初めとして全国に30店舗あまりを経営しており、「築地寿司清」の他に「鮨魯山」「すし魚寿」「鮨竹山」などを展開している。 「鮨魯山」の出身には「三谷」の三谷康彦氏、「鮨臥龍」の安達…

その三十一 「鮨なんば」

難波英史氏は都内のすし店に勤めた後、2006年に32歳で独立して荻窪「鮨なんば」を創業し、その後、2011年に阿佐ヶ谷に場所を移した。2018年には日比谷ミッドタウンの開業にともない阿佐ヶ谷の店を二番手の高岡俊輔氏に託し、「鮨なんば日比谷」を開く。シャ…

番外編その一 「現存する老舗江戸前すしの店」

少し前まで「現存する最古の江戸前すし」の店として知られていた銀座「すし栄」は、嘉永元年(1848年)に神田旅籠町に創業したのが始まりで、初代は倉田栄蔵氏。二代目は倉田金太郎氏。三代目の倉田華太郎氏は明治29年(1896年)生まれで、倉田華太郎氏の時…

その三十 「日本橋蛎殻町すぎた」

「東日本橋都寿司」は日本橋蛎殻町「都寿司」の弟子が独立した店だが、2代続いて廃業となり、その後を引き継いだのが杉田孝明氏である。「日本橋橘町都寿司」を屋号として2004年にオープンした。2015年に場所を移して「日本橋蛎殻町すぎた」となり現在に至…

その二十九 「都寿司」

日本橋蛎殻町「都寿司」は明治20年(1887年)創業の老舗。初代は山縣太三吉氏で以前からすし店を営んでいたが、その詳細はわからず、明治20年創業としたとのこと。二代目は山縣浅七氏。三代目山縣曻太郎氏が山縣正氏の父で、第二次世界大戦後は自転車修理業…

その二十八 「青柳」

「寿し屋の勘八」はすし職人の修業の場でもあり、系列店も多数あるが独立開業する職人も多い。「寿し屋の○○」「勘○」「○勘」などの店名は「寿し屋の勘八」出身者が多い。たとえば「すし屋の勘六」「すし屋の野八」「すし屋の芳勘」など。 「すし屋の野八」の…

その二十七 「あら輝」

「寿司いずみ」出身の荒木水都弘氏は2000年に上野毛「あら輝」として独立した。独立前には「きよ田」の二代目新津武昭氏に師事した。新津武昭氏は「きよ田」がまだ六本木にあった頃に藤本繁蔵氏のもとで働いており、その頃の「きよ田」には藤本繁蔵氏、清水…

その二十六 「寿司いずみ」

「寿司いずみ」の佐藤勇氏は「寿し屋の勘八」出身。佐藤勇氏は1926年の生まれで1936年に日本橋の鮨屋「弁富」に年季奉公に入った。終戦後の1945年に日本橋から暖簾分けした築地「弁富」に入る。その後は都内のすし屋を10年程度かけて多数回り「銀座勘八」の…

その二十五 「寿し屋の勘八」

「寿し屋の勘八」の創業は1953年で、創業者はすしの職人ではなく経営専門の中村孝行氏と言う人で、現在の代表者は中村達氏。初代の親方は飯沼春吉氏と言い「三長会」に属する優れた職人であった。銀座7丁目に創業し、その頃には「喜久好」(閉店)の清水喜…

その二十四 「新ばし しみず」

石丸久尊氏の弟子として「新橋鶴八」で修業したのが清水邦浩氏で、1999年に新橋に「鮨処しみず」として開業した。現在は場所を移して「新ばししみづ」となっている。 清水邦浩氏の弟子としては「鮨まつもと」の松本大典氏が独立して、2005年に京都に店を開い…

その二十三 「鶴八」

師岡幸夫氏は1930年に東京神田紺屋町ですし職人の息子として生まれ、19歳で柳橋「美家古鮨本店」で握りの神様と称された加藤博章氏のもとで修業し、1959年に神田「鶴八」として独立した。師岡幸夫氏の弟子の田島道弘氏は、神田「鶴八」で修業し、一度は栃木…

その二十二 「美家古鮨本店」

「弁天山美家古寿司」で修業した加藤博章氏が第二次世界大戦前に柳橋に開業。加藤博章氏が徴兵されたために店を閉めるが、戦後に復員した後に出前専門の形で再開し、その後1950年に「美家古鮨本店」として店舗を構えた。その頃の経緯は「神田鶴八鮨ばなし」…

その二十一 「弁天山美家古寿司」

「與兵衛鮨」の流れを汲むとされる千住「みやこ」が創業したのが1848年頃。千住「みやこ」はすでに閉店しているが、「みやこ」で修業した伊藤久助氏が1866年に創業したとされるのが浅草「弁天山みやこ寿司」である。二代目が内田金七氏とされる。(「弁天山…

その二十 「すし処宮葉」

「すし処宮葉」の宮葉幹男氏は「與兵衛鮨」の流れを汲むとされる江戸時代よりすし屋を営む老舗(詳細は不明)に生まれ、京橋「幸鮨」の七代目の元で修業をした。「幸鮨」の八代目となるが「幸鮨」は閉店。その後、全国各地の名店で修業し、1989年に浜松町に…

その十九 「道玄坂亀寿司」

もう一人「與兵衛鮨」の流れを汲むのが四代目小泉喜太郎の弟子、青島熊一氏である。明治43年(1910年)生まれで「與兵衛鮨」が閉店する直前の大正12年(1923年)から「與兵衛鮨」で修業した。その後「道玄坂亀寿司(鮨)」を開店したが、現在には至らず。 そ…

その十八 「㐂寿司」

「與兵衛鮨」四代目小泉喜太郎の弟子にあたるのが、明治の終わり頃、柳橋の薬研堀に「㐂寿司」を創業した油井㐂太郎氏である。(油井㐂太郎氏は「與兵衛鮨」の支店、馬喰町「すし忠」で修業したとの話あり。)1923年に息子の油井貫一氏が人形町に店を出して…